第32話 メタバースな世界が覆い隠す不都合なリアルワールド|MacFan

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デジタル迷宮で迷子になりまして

第32話 メタバースな世界が覆い隠す不都合なリアルワールド

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

ウイルスによるパンデミックの影響と、たまたま醸成しつつあったテクノロジーが相まって、リモートワークを軸とした新しいワークスタイル/ライフスタイルが、思っていたよりも急速に広がった。まさにあっという間で、パンデミックがなければ、どんな世界になっていたのだろうかと想像してしまうレベルだ。

こういったテクノロジーの発展の速度は、技術だけでなく、世相や社会の雰囲気にも影響される。「リモートワークは促進されるべき」といった意見が強まる一方で、多大な犠牲を払ったパンデミックという状況が、それに対する反論を不可視化している部分もあるかもしれない。

いずれにせよ、従来はハードルの高かったリモートワークが一般化した影響で、その先に見えるリモートのライフスタイル、メタバースの概念の理解も加速したのは間違いない。ただ、こんなときは注意が必要だと思っている。デジタル技術の加速度が高すぎる場面で人類は、基本的なことをよく見落とす。

メタバースとは何か。よく3Dの仮想空間が例に挙がるが、それは概念ではなくインターフェイスのひとつだ。アバターなどを使ったデジタル上の社会のことを指すのであれば、そんなものはずいぶんの前から構築されつつあるように思う。SNSのアカウントや、ネットショッピングなどもその入り口だ。

メタバースで実現するサービスのひとつとして、バーチャル店舗での買い物はよく例に挙がる。わざわざ現実に似せた3D空間で、実店舗のように商品を見ながら買い物ができるサービスが話題になったりする。商品の種類にもよるのだろうが、そんな空間にアバターで入って、デキの悪いCGのシャツを持ち上げて吟味して購入する意味は、個人的にはよくわからない。

話がそれたが、扱っている商品が工業製品であれば、バーチャルの店構えがどうあれ、届いた商品に不都合や不具合がなければ問題は少ない。そもそも通販には実店舗は不要だ。しかし、たとえばそれが食事、しかも作られたばかりの料理だとしたら、話は変わってくる。

先日、とんでもなく不衛生な見た目の料理店を見かけた。詳細は省くが、それはもう間違いなく不衛生だとひと目で判断できた。汚くて店内に入る気も起きなければ、どうやら入ることもできないようだった。しかし、中では料理をしている様子。もともとは店内で食事ができるお店だったと思うが、コロナ禍の影響もあってか、今は宅配専門で経営しているようだ。

ネット上でその店を検索してみると、私もときどき使っているデリバリーサービスに登録されていた。そのお店のページを見てみると、きれいに撮影された料理の写真がズラリと並んでいる。当然ながら、それらの料理が作られるであろう、とんでもなく不衛生な店の雰囲気はみじんも感じさせない。それがすなわち、その店のバーチャルショップを取り巻く状況だ。

実際に店舗を訪れて食事をするという行為は、まずその店構えを確認するところから始まる。ネット上にあるバーチャルショップでの買い物は、その行為が消滅している点を認識するところから始めるべきだろう。それは店だけでなく、人のアバターにも同じことが言える。

もちろん、デリバリー専門の料理店が必ず問題を抱えているわけではない。ただ、実店舗を知らない店で作られた料理を遠隔で食べるという行為には、そんな可能性もあるという点がすっ飛ばされそうで、心配になるのだ。メタバースの世界では、不都合なものを隠すことが容易にできる。

先のサイトでその店の評価を見ると、「おいしかったです」というコメントがあった。実店舗を見たあとでも同じコメントが出るのか、気になるところだ。

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。