第21話 匿名アカウントは人として存在しているのか|MacFan

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第21話 匿名アカウントは人として存在しているのか

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

かつて「2ちゃんねる」という掲示板があった。ご存じ、匿名掲示板の代名詞的存在だ。ネットが広がり、コンテンツの増殖とネット検索のバランスが取れていなかった時代、アングラ的な情報の集積所であったり、馴れ合いのチャットスペースであったりした。世代的には、読者の中にも多くの武勇伝を持つ方がいるのではないだろうか。私も情報収集のために特定の掲示板を出入りしたり、書き込んだりしていたことはある。

そんなことが気軽にできたのは、そこが匿名掲示板だったからに他ならない。何を書き込んでも、基本的には誰が書いたものかわからない。だからこそ本音も出やすく、同時に虚言や乱暴な書き込みも多い。それゆえ問題も多かった。“あおり”や誹謗中傷、罵詈雑言、コンテンツの違法な共有など、当時はまだ判然としていなかったネット特有の社会問題も山のように生み出していった。

そんな中でも、ときとして記名で書き込む人も、いるにはいた。いわゆるコテハン(固定ハンドルネーム)ではなく、実名だ。しかし、周囲はほとんどが無記名で誰だかわからない状態なので、たとえば議論が始まっても、実名ユーザを匿名ユーザが取り囲むようなことになる。そもそも、書き捨てて飽きたら消えていく匿名ユーザが相手では、議論がほぼ成立しない。

翻って現在のネット上だが、当時に比べて変わったのは、圧倒的に増えた実名アカウントだ。SNSの勃興は実名アカウントの台頭とも言える。本名でなくとも、あだ名や以前から使っているハンドルネームなど、社会的背景や企業、個人が特定できるアカウントは、実質的に記名していると言えるだろう。

同時に、匿名アカウントの数も膨大だ。中には実名と匿名アカウントを併用している人もいるだろう。そして、SNS上では両者がフラットな状態で並び、議論も発生する。しかし、それは数が異なるだけで、2ちゃんねるでの議論と変わらないように見える。

私には家族もいるし、友人もいる。仕事を共にするパートナーが多数おり、お世話になっている取引先も存在する。ネット上のアカウントでもそれは同様で、そういう存在としての個人として特定されている。

ところが、所属不明の匿名アカウントはそうではない。もちろん大切なアカウントだから守りたいとか、収入源になっているから維持したいという場合もあるだろう。しかし、2ちゃんねるで見かけたような品のない言葉で相手を罵倒しようと、誰かを傷つけるために悪態をつこうと、それによって価値が下がるのはアカウントというデジタルな存在で、人ではない。消したら消えるだけで、本人には何も影響しないのだ。

ヤフーニュースなどの各メディア記事のコメント欄では、匿名ユーザによる行きすぎた誹謗中傷が以前から問題となっている。にもかかわらず、ユーザ確保などの理由が大きいのだろうが、匿名アカウントが活動する場所はむしろ増えている印象を受ける。たとえば、実名登録による質の高い回答がウリだったはずのQ&Aサイト「クオーラ(Quora)」も、いつの間にか匿名アカウントが増え、結果的に、無責任で無分別な書き込みを大量に見かけるようになった。

もちろん誹謗中傷は犯罪になり得る。しかしそこに至らなくても、ネットの仕組みと言葉を使って、人を傷つけたり、嫌な気持ちにさせたりすることは、容易にできる。

匿名という仮面をかぶることで、個は特定されなくなる。それは歯止めが利かない言葉の暴力への入り口になり得る。2ちゃんねるを経て、その光と影を見てきたユーザには、それを防ぐ防波堤としての役割があってもいいように思うのだ。もうみんな大人なんだし。

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。