五輪でも発揮された「型」の文化、日本|MacFan

アラカルト “M世代”とのミライ

五輪でも発揮された「型」の文化、日本

文●松村太郎

8月8日、東京オリンピックが閉幕しました。オリンピックが自国で開催される機会なんて滅多にないことですが、今回のオリンピックはさまざまなトラブルから賛否の溝が埋まらず、新型コロナウイルスの感染拡大がやまない状況を見ても、とても開催を手放しに喜べる状況にないという前提が、いつまでも居座っていたように感じます。

その一方で、元来筆者はスポーツが好きで、アスリートの試合そのものや結果を楽しみにしていました。特に今回、スケートボードやBMXなどの新しい種目で、世界中の選手たちが敵味方関係なく、強い仲間意識を持っている様子には、新しい世代のスポーツの在り方を垣間見たようで、心が温まりました。

そんな複雑な見方をせざるを得なかった東京オリンピックでしたが、開会式のパフォーマンスとそれ以降のクリエイティブの流れに、「日本らしさ」を見出していたことがありました。すでに大きな話題をさらっている「ピクトグラム」です。

もともとピクトグラムは、1964年に開催された前回の東京オリンピックではじめて採用された、競技を記号で表すアイコンです。そこで言語の壁を越えるツールとして認識され、新たなコミュニケーション手段として世界中にどんどん浸透していきました。

それ以降、毎回のオリンピックで新しいデザインのピクトグラムが作成され、今回の東京大会のピクトグラムは、ついにモーショングラフィックスで「動くピクトグラム」となりました。開会式では実際にパフォーマーによってピクトグラムが体現されるなど、大きな話題を集めました。

この一連の流れが、非常に「日本らしいクリエイティブ」だと思うポイントです。日本のクリエイティブというと、漫画やアニメが思い浮かびます。筆者ももちろん好きですが、それ以上に面白いと考えるのが「型のクリエイティブ」を作り出せる点。それがクールジャパンの最たるものだと考えています。

「動くピクトグラム」は、主にSNS上で、すぐに二次創作が盛んに起こりました。育児を表現した「ママリンピック」や、お笑い芸人のネタを表現したピクトグラムなどが、次々に作られていきました。今回のピクトグラムは、デザインや表現が「型」となり、さまざまな応用が起きていきました。それを誘発する土台を作り出したことが、非常に日本らしいクリエイティブだと感じるのです。

型のクリエイティブのたとえとしてよく出すのは、「寿司」や「盆栽」です。握り寿司はシャリの上に、ネタが乗る「型」があります。逆に言えば、この形態を保っていれば、何を乗せても寿司になるのです。寿司は軍艦巻き、巻き寿司などと派生し、海を渡ってカリフォルニアロールなるものまで登場しました。それらも、寿司として認知され、日本の寿司店でも楽しまれています。「寿司」という存在が、食のクリエイティブプラットフォームとなっているわけです。

盆栽は、鉢の上に観賞用の木や草、苔植えて仕立てるものです。しかし、実は仕立て方にルールがあり、そのルールを満たすために、木などを育てるための技を駆使することになります。鑑賞する人も、その型を知ると、より味わい深く楽しむことができるというわけです。

思えば、絵文字はすでに「Emoji」として、世界中のコミュニケーションで活用され、むしろグローバルでは日本より熱心に、多様性や社会的な正しさが盛りこまれるようになりました。

日本のクリエイティブの強さは、こうした「型」によって自己増殖していくこと。その健在ぶりを、今回のオリンピックでも確認することができたのです。

 

 

開催自体に賛否両論あった今回の東京オリンピック。アスリートの活躍と政治の問題は切り離して考えるべきですが、その一方で垣間見た日本の強さとは。催自体に賛否両論あった今回の東京オリンピック。アスリートの活躍と政治の問題は切り離して考えるべきですが、その一方で垣間見た日本の強さとは。

 

 

Taro Matsumura

ジャーナリスト・著者。1980年生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科卒業後、フリーランス・ジャーナリストとして活動を開始。モバイルを中心に個人のためのメディアとライフ・ワークスタイルの関係性を追究。2020年より情報経営イノベーション専門職大学にて教鞭をとる。