第16話 リモートワークが高める人と会うことの価値|MacFan

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デジタル迷宮で迷子になりまして

第16話 リモートワークが高める人と会うことの価値

文●矢野裕彦(TEXTEDIT)

テクノロジーの普遍的ムダ話

仕事でミーティングのスケジュールを調整する際、特に何も言わなくてもビデオ会議を前提としていることが増えた。直前まで横になっていようが、下半身が普段着だろうが自由だし、何しろ移動が伴わないので時間が節約できる。新型コロナウイルスによって世界中の人々が半ば強制的にビデオ会議を経験したことで、本来は時間がかかるはずの会議のDX(デジタルトランスフォーメーション)が短期間で達成された格好だ。これ以降、世界は「ビデオ会議でいいですか?」という提案を受け入れることになるだろう。実際に会って会議をする依頼のほうがもはやハードルが高いように感じる。

ビデオ会議は、表情や言葉の抑揚、ボディランゲージなど、リアルタイムで多くの情報が伝わるので、メールや通話に比べてもやりとりがスムースだ。さらにツールに備わっている「画面共有」などの機能を併用すれば、情報のやりとりの効率も上げられる。

リモートワークによる働く場所の変化は、暮らす場所にも影響を与えている。私は四国の出身だが、やりたい仕事をするために東京で就職をした。雑誌などのメディアの仕事は東京に集中しており、そこで働くためには東京近郊で暮らす必要があったのだ。時を経て今、リモートワークの発達により、おそらく東京にいなくても仕事はできる。実際、東京から地方に移り住むというムーブメントもあるようだ。自然豊かな場所や憧れの土地、生まれ故郷など、好きな場所で暮らしてオンラインで仕事をこなすのは、憧れのライフスタイルのひとつとして定着しつつある。ビデオ会議の出番は、そんな理由でも増加していきそうだ。

しかし一方で、ビデオ会議でのやりとりは、物理的な対面に比べるとかなり限定されたものだ。伝送されているのは音声と一定の解像度に収まる動画、やりとりされるファイルなど、デジタルデータのみ。カメラが高性能になったとはいえ人間の目には到底かなわないし、対面した際に得られる相手の情報は、目から入ってくるものだけではない。雰囲気や息づかい、わずかな相づち、背の高さやミーティング前後の仕草など、相手の「存在」という感覚を受けながら話をする状況に比べて、オンラインで伝わる情報量は圧倒的に少ない。限定的な情報のやりとりのみを行うビデオ会議には、用件だけを済ませてさっさと帰るような素っ気なさも漂う。

現在はまだコロナ禍にあるが、ワクチン接種は進んでおり、国によっては元の生活に戻りつつある。これまでの反動もあって、物理的に移動して人に会うことが、まるで流行りごとのように行われるかもしれない。その後、ビデオ会議の存在はどうなるだろうか。楽で便利なことを体験した手前、オンラインかオフラインかという選択肢は残るように思う。

オン/オフに関わらず、コミュニケーションを豊かで実のあるものにするのは、本人たちのスキルや関係次第だ。しかし、久しぶりに人と会って話をすると、やりとりのスムースさにあらためて驚く。また、職場や学校で毎日会う人は話をしなくても存在を感じるが、オンラインでしか会えない人は、デバイスをオフにしている間は存在感がない。加えて、遠くで暮らすようになれば、会う機会も減っていくだろう。リモートワークが進むほど、物理的に対面することの価値が高まる可能性もある。

頻繁に人と会える世界が戻ってくると、不足気味だった大量の情報のやりとりが対面で行われることになる。その圧倒的な情報量の差が何を生むのか。リモートワークのメリットとデメリットは、その段階からはじめて見えてくるように思うのだ。

 

 

写真と文:矢野裕彦(TEXTEDIT)

編集者。株式会社TEXTEDIT代表取締役。株式会社アスキー(当時)にて月刊誌『MACPOWER』の鬼デスクを務め、その後、ライフスタイル、ビジネス、ホビーなど、多様な雑誌の編集者を経て独立。書籍、雑誌、WEB、イベント、企業のプロジェクトなど、たいがい何でも編集する。