“仮面”を外して対話する|MacFan

アラカルト Dialogue with the Gifted 言葉の処方箋

“仮面”を外して対話する

今回は、私が大学病院を退職して最初に訪れた視覚障害者の就労支援施設で出会った一人の全盲の患者とのエピソードを紹介します。2012年当時、私は視覚障害者におけるiPad 2活用の可能性を探るために、日本全国の支援施設に通う当事者に、iPadのカメラ機能による拡大鏡としての利用や読書行為が操作性を含めて現実的かを検討するための訪問調査を始めていました。

ある日、私は現場視察と聞き取り調査を実施する目的で都内の就労支援施設を訪問し、音声パソコンの使い方教室の講師に聞き取り調査を行う予定でした。教室内に入ると、電源が入っていないディスプレイに向かい、イヤフォンをつけてかなりの速さでタイピングを行う男性がいました。よく見ると、その足下にはピアノのペダルのようなものが設置されており、左右のペダルをリズミカルに踏むその姿は、まるで無音の音楽を演奏するピアニストのように感じられました。

状況が飲み込めずに立ち尽くしている私の存在に気づいた彼は、振り向かずに言いました。

「失礼しました。ディスプレイの電源入れないと先生には見えないですよね」

そう言ってディスプレイの電源を入れると、私のタイピングの2倍以上の速さで文章が画面上に打ち込まれていきます。その動作の意味がまったく理解できないまま、彼の解説が始まりました。

彼によると、左のイヤフォンでボイスレコーダで録音された音を聞き、右のイヤフォンでパソコンに入力されたテキストデータの音声読み上げを聞くことで、録音データからテキストデータへの文字起こしを行っているとのことでした。足下のペダルでは入力されたテキスト情報の行送り/戻りが可能で、誤字・脱字がないかを確認するための操作ができると言うのです。

“百聞は一見に如かず”と言いますが、まさに目から鱗が落ちた体験であり、テクノロジーを活用することで人は残された能力を最大化して働くことができると確信しました。かつてスティーブ・ジョブズはパソコンを“知的自転車”と表現しましたが、まさに彼らにとってテクノロジーはできることを加速させるための自転車であり、私にはこの情報を届ける使命があると強く再確認したのを覚えています。説明が終わり、感動している私のほうを向いて彼は言いました。

「先生、いつも外来ではありがとうございます。次回の診察もよろしくお願いします」

そう、彼は私の外来に通う患者だったのです。「患者」という名前の人はいません。白衣を着たら医者、入院着をきたら患者、教壇に立ったら教師…それらはすべて“社会的な仮面”でしかなく、「人を診る」とは仮面を外して対話することであるという“気づきの処方箋”を彼は私にくれました。現在私は多くの仮面を付け替えて、ときには仮面を全部外して素の自分でいられる時間を大切にして、かけがえのない今を生きています。

 

白衣を脱げば、医者も一人の人間である。

 

 

Taku Miyake

医師・医学博士、眼科専門医、労働衛生コンサルタント、メンタルヘルス法務主任者。株式会社Studio Gift Hands 代表取締役。医師免許を持って活動するマルチフィールドコンサルタント。主な活動領域は、(1)iOS端末を用いた障害者への就労・就学支援、(2)企業の産業保健・ヘルスケア法務顧問、(3)遊べる病院「Vision Park」(2018年グッドデザイン賞受賞)のコンセプトディレクター、運営責任者などを中心に、医療・福祉・教育・ビジネス・エンタメ領域を越境的に活動している。また東京大学において、健診データ活用、行動変容、支援機器活用関連の研究室に所属する客員研究員としても活動中。主な著書として、管理職向けメンタル・モチベーションマネジメント本である『マネジメントはがんばらないほどうまくいく』(クロスメディア・パブリッシング)や歌集・童話『向日葵と僕』(パブリック・ブレイン)などがある。