野呂エイシロウの「ケチの美学」第34回|MacFan

アラカルト ケチの美学

野呂エイシロウの「ケチの美学」第34回

文●野呂エイシロウ

人気放送作家が語るケチとアップルの交差点。

砂漠で生き抜くんだと考える

ボクは少しでも楽をしたい人間だ。堕落した人間である。もっと寝ていようとか、もっとサボろうとか、いろいろな誘惑がやってくる。脳の中をぐるぐると回ってくる。なんでも後回しにしようとする弱い人間である。

そんなとき、ふとマインドリセットをする。心を変えるのだ。スイッチを入れ替えるのだ。

「ここは砂漠だ。そんな砂漠でたった一人だ。生き抜くためには、今、自分で動かないと、太陽で干からびて死んでしまう」と考えるようにしている。

するとどうだろうか? 行動に移せる。別に本当に砂漠を歩くような過酷なことをするわけではない。「ゴミを捨てる」「原稿を書く」「仕事に行く」「髭を剃る」など。

MacBookを起ち上げ、キーボードを叩き始めることもある。ボクにとっては、キーボードを動かすことは、砂漠で歩き始めるのと同じことである。

砂漠で生き抜くのと、この世界で仕事をし続けるのを同じだと思えばいいのだ。

日々生活していて、いろいろなムダがあることもある。ご飯を残す。電灯をつけっぱなしにするなど、だらしなさから無駄が生まれる。そんなとき、「ここは砂漠だ。ちゃんとしなければ」と行動に移す。砂漠では、食料も超大切だ。ムダなどない。

忘れ物も同じだ。ボクはリュックにいろいろな道具を入れて仕事へゆく。そんなとき、忘れ物は厳禁だ。紛失も絶対に駄目だ。なぜなら砂漠なら命取りになってしまうからだ。

都会で生きていると、ついつい考える時間が長くなったりする。でも、それは無駄だ。「やらねば」と考えていても、結果につながることはない。

一応ボクはホワイトカラーだが、考えているだけでは結果は生まれないのだ。アイデアは浮かぶだけでは意味がない。他人に発表して初めて実を結ぶのだ。伝えて、実行に移されて、形になって、初めて意味がある。頭の中でいくら考えていても、それは無駄なのだ。

特に砂漠を歩いているときに、「水は…」「オアシスがあったらいいな…」などといくら考えても死んでしまう。それよりも日陰を作るとか、穴を掘るとか、水を節約するとか、夜の間に移動するとか、電池を節約するとか、とにかく行動するはずだ。なぜか? そうしないと死んでしまうからだ。

都会に住んでいるとそんなことをすっかり忘れて、適当になりがちだ。そう、自分に甘えてしまうのである。

だから、いろんなことをだらけそうになると「砂漠を歩いているんだ」「砂漠で生き抜こう」と思い込むようにして動き出す。サバイバルでは行動がすべてだ。その厳しさが日々失われているのだ。

だから、動けないとき、行動ができなくなっているとき、頭の中で「ここは砂漠だ。考えて動き出そう」と自分に問いかける。そんな毎日が楽しい。

 

APU立命館太平洋大学でマーケティングの授業をしてきました!

 

 

EishiroNoro

放送作家、戦略的PRコンサルタント。毎日オールナイトニッポンを朝5時まで聴き、テレビの見過ぎで受験失敗し、人生いろいろあって放送作家に。「元気が出るテレビ」「鉄腕DASH」「NHK紅白歌合戦」「アンビリバボー」などを構成。テレビ番組も、CMやPRをヒットさせることも一緒。放送作家はヒットするためのコンサルタント業だ!と、戦略的PRコンサルタントに。偉そうなことを言った割には、『テレビで売り上げ100倍にする私の方法』(講談社)『プレスリリースはラブレター』(万来舎)が、ミリオンセラーにならず悩み中。