【第7回】美しいフリーダ(福間健二) | マイナビブックス

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POETRY FOR YOU 2

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【第7回】美しいフリーダ(福間健二)

2015.07.20 | 福間健二+文月悠光

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 おれは頭がおかしいんだ。だから、なにか変なことを言ったかもしれない。でも、正直に考えたとおりを言ったんだ。いくらみんなに嘲られても、いつでも、おれはね、と吉村さんは言う。上着を脱ぎ、ワイシャツ姿になって、見えない影を部屋から部屋へ追いながら。あなたは心の美しい人だ。あなたは、ここから何もかもを捨てて出ていくと言った。それだけで十分だ。それだけであなたを信じるよ。あなたを売ったり買ったりする卑しい連中に指一本だって触らせないよ。扱いに困るような善人の言葉。彼はそれを言いつづけた。しかし、壁にかかった鏡に映る彼の顔は歪んでいた。醜いといっていいほどに。すごいよかった、とぼくは言った。最近の吉村さんの演技、なにかが取り憑いているみたいですよ。そう、うれしいな。あの映画、客がぜんぜん入らんかった。でも、監督は才能あると思う。おれは、あの監督好きなんだ。吉村さんは一瞬、まじめな顔をした。天然パーマ気味のその髪を風が乱した。すぐにテレくさそうに笑って立ちどまった。さあ、着いたぞ。植木畑のなかの、港町にある倉庫のような建物。そこに彼女はいた。きょうは、その美しい足がサンダルをはいている。両足首に銀色のガチャガチャしたものが巻きつき、指のマニュキアはそれほど主張していない。そのかたちが美しい。意味などない。きょうは、フリーダ。フリーダって呼んで。きみたちに名前で呼ばれたいから考えたの。わかりました、フリーダさん。さん、はいらない。フリーダ、わかったよ。その調子、このあとに言うこと忘れてないわね。どうしたことか、吉村さんがまごついているように見えたので、ぼくがうなずいて言う。フリ−ダ、あなたは心の美しい人だ。心が美しい。これはセリフだ。役割を果たしている。建物の奥に一台のグランドピアノがあった。黒ではない、珍しい茶色のベーゼンドルファーだ。吉村さんはピアノも巧い。バンドをやっていた時期がある。先週はこのピアノでモーツァルトを弾いた。要するに、二種類の音楽があるわね。彼女は言った。これは受け売りだけど、人が耳を傾ける音楽と耳を傾けない音楽よ。モーツァルトは、もちろん、みんなが耳を傾ける音楽だわ。でも、きょうのわたしは、モーツァルトの気分じゃない。ねえ、ジャズを一曲弾いて。荒々しいのがいいわ。吉村さんは椅子にすわると蓋をあけてピアノを鳴らした。初めは打楽器のように。やがてその音はうねりだし、泳ぐ生き物のように暴れた。あなたは美しくない。姿も心も美しくない。あなただけじゃない。この世に美しいものなどない。生き物はそう言っているようだった。振動が残るピアノの上にフリーダがのぼり、ぼくたちの仕事がはじまった。吉村さんは急に機嫌がよくなった。これも演技かもしれないとぼくは思った。彼は彼女の命令どおりに行動し、冗談を連発し、お昼に出たフルコースのフランス料理をおいしそうに食べた。フリーダは食べなかった。ワインもコーヒーも飲まなかった。ぼくは途中、何度か我に返ってなぜこんなことをしているのだろうと思った。先々週よりも、先週よりも、楽しめていない自分を黙らせる努力が必要だった。踊るように陶酔し、その陶酔を自分で終わらせることができないフリーダのために目覚まし時計がどこかの教会の鐘を模した音を鳴らした。ぼくたちは解放された。わたしは合成人間みたいなものなの。フリーダはその胴にコルセットを巻きつけながら言った。このコルセットも、わたしの体も、ものすごく高いのよ。でも、そろそろ大修繕が必要みたいだわ。吉村さんの家に戻ると奥多摩から戻った安恵さんがビールを飲んでいた。つまみはポテトチップス。奥多摩、平日なのに人がいっぱいだったよ。ショートパンツをはいたその健康な肢体からぼくは目をそらした。どうしたの。二人ともすごく冴えない顔をしてる。ぼくたちも飲みはじめた。まだ明るい。

 

2015.7.20

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