【第2回】父とゴルフ | マイナビブックス

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ゴルフプラネット 第37巻

【第2回】父とゴルフ

2016.10.19 | 篠原嗣典

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父とゴルフ

 

 先々週、父は顧問をしていた会社を退き、完全に引退状態になった。これからはゴルフ以外のやりたかった趣味をするのだと話していた。

 

 先週、定期検診から帰った父は様子がおかしかった。都立病院で緊急の検査をすることになった、という。金曜日まで通いで検査を受けていた。

 

「たぶん、癌だと言われた」と父は言った。膀胱に腫瘍があり、まだ小さいので内視鏡で取ってしまおうということになり、急遽、手術のために2月に入ったら入院することになった。

 

 この号が出る日は、父と一緒にゴルフに行く予定になっていた。それは行くという。最後のゴルフになるかもしれないからな、と冗談のように言った。本人への緩い告知や手術のスケジュールなどのゆとりを聞いて、死に直結するものではないのだと理性ではわかっていたが、『癌』と父が感情の中で結びつかず、違和感があった。

 

 私は祖父が亡くなった直後にゴルフに出かけた。約束していたからで、ゴルフの約束を反故にしたら祖父が悲しむと思うと周囲に話し、親戚や知り合いを引かせた。

 

 初めての子供が生まれた瞬間にプレーをしていた先輩、家が燃えていると連絡を受けてもプレーしようとした先輩、会社が倒産する日に開き直ってプレーをしていた知り合い…… ゴルファーとして特別なシンパシーを感じていた。

 

 約束したゴルフはコースがクローズしない限り行く。私が生きている限り、ぶれない方針だと思っていた。数年前に、財布を落としたときには手続きの多さと現実に動揺してしまいゴルフに行けなかったことがあったが、あとから考えれば、行くことは可能だったのだと後悔をした。

 

 私は、父に手術が終わるまでゴルフをやめて欲しいと思った。母方の祖母、義理の母、癌で亡くなった身内を思いだした。癌は無理をすれば急激に広がってしまうようなイメージがあった。

 

 膀胱癌で亡くなった松田優作を思いだした。治療をせずに、ハリウッド映画に命を賭けた生き様は尊敬できるが、父がゴルフで寿命を縮めるのは嫌だった。

 

 でも、言えなかった。

 

 言っても聞かないことは想像できたし、言うことで余計に癌を勢いづかせるようなイメージもあった。父がいなくなることは恐怖だった。私は父っ子だたと幼い頃を知る人はいうが、この歳になってそれを自覚した。

 

 出来るだけ普通にしようと思った。翌日は、Golf Planetの研修会で4時半に家を出なければならなかった。母は気丈に振る舞っているが、動揺していて、私がそんな中、普通にゴルフに行くことを知って不愉快だという態度を取った。母はゴルフをしないので、ゴルフのことで論議しても意味がないので無視した。それも、私にとって普通のことだった。

 

 妻は普通だった。変な話であるが…… その普通さにイライラしている自分がいた。たぶん、一番普通じゃないのは私だったのだ。

 

 ゴルフコースには久しぶりに1人で行った。乗り合いで行くことが多くなったので、1人で車を運転して行くゴルフはほぼ1年振りだった。

 

 1人で行くゴルフは気が楽で良い。集中するために、色々なことが出来るというメリットもある。ゴルフそのもののテーマもあった。宿題としてやるべきことがハッキリしているゴルフだった。

 

 集中するたびに、父のことを考えた。パトロン用のGolf Planet Clubに書いたショートショートは、偶然にも亡くなった父親を思う息子の話だった。第六感だったのだろうか、と思ったりした。そして、少しだけ凹んだ。

 

 ゴルフコースでも、私は占いのようなゴルフをしてしまった。一か八かまではいかないが、必要のない挑戦を何度も選択した。そして、運次第で運が良い方に出るたびに、父は回復すると頭の片隅で思い、失敗すると『こんなことをしている場合じゃない。課題をこなそう』と反省した。良いホールと悪いホールが極端なゴルフになった。

 

 午後になり、予報では降らないはずの雨が降った。レインウェアは持参しておらず、オリジナルの傘は車の中にあった。どちらもデビューできずに、更に落ち込んだ。

 

 ちょっとしたトラブルにイライラした。『自分はそれどころじゃないんだ』と甘えて怒れたら、どんなに楽だろうかと想像した。

 

 研修会の仲間は、心から気を許せる仲間だ。父のことを知っている人も多い。でも、今日はそのことを言わないと決めていた(これを読んで、みんな驚いていることだと思う)。だから、私はいつもより少しだけ無口だった。

 

 父がいなければ、私がゴルフをしていた保証はない。今更ながら、そんなことを実感している。

 

 日曜日、甥っ子のゴルフの練習に父も同行した。その車の中で、取った腫瘍が悪性なら、保険で癌告知の一時金が出るのが楽しみだと父は話した。その保険金で、完治したよコンペをしようと、私は言った。それは冗談であり、願いでもあった。

 

 今日、父と私はゴルフコースでボールを打っているだろう。普通にしようと私は必死になっているはずだ。

 

 全て笑い話になる春が来ることが待ち遠しい。

(2009年1月27日)

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