3.評価は他人が下すもの
酒缶 『勇者30』って、PSPで始まって、今、ダウンロードではいろんなハードに行っているけど、任天堂のハードには来ないんですかね?(※1)
高木 行かないですね。
酒缶 (笑)来ないんですか?
高木 当時のPSPとDSを比較して、正直、ハードのスペックはPSPの方が上ですよ。あえてそこでドットをやるのが面白いと思ったので……多分DSで出すと普通になっちゃうんですよね。
酒缶 あぁ(笑)。確かに。
高木 スペックの無駄遣いみたいなところも『勇者30』の面白さだったかな。音とか絵が異様に豪華だったり。
酒缶 確かにDSだと他のタイトルに埋もれちゃう可能性が高かったですね。
高木 そうですね。
酒缶 それ以外で高木さんが関わっているタイトルだと、『ヴァルハラナイツ2』(※2)は3Dだけどガチなゲームですよね。
高木 正統派なガチガチなヤツで。これは元々『1』(※3)があって『2』から関わったのでベースがあってそこをなるべく遊びやすくして……。
酒缶 ということは、『ヴァルハラナイツ2』はごく普通のプロデューサーとして関わったんですか?
高木 そうですね。僕の意識は……爆乳ではなく素面の僕ですね(笑)。
酒缶 高木さんがマーベラスさんに入社したのはいつ頃ですか?
高木 30歳くらいですね。
酒缶 学生からそこまでの間は、どんなお仕事をされていたんですか?
高木 僕は大学を出て、まぁ、ゲームの仕事をやりたいと思っていたんですけど、広島の方にいたのでどうやったらゲーム会社に入れるかわからなかったんです。そんなにインターネットも普及しているわけでもなく、知り合いがいるわけでもなく、大学を出た後、ゲーム系の専門学校に行ったんですけど「ここにいてもしょうがないな」という感じのところで……。
酒缶 ゲームの専門学校に行った方にはそういう意見の方が結構いますね。
高木 「失敗したな」と思ったんですけど、まぁ2年間なので。いろいろと企画書を作ったり勉強したりして、わずかな学校の伝手を使ってゲーム会社を受けたんですけど受からなくて、これはまずい。その時24歳でした。まずいと思ったのでとりあえず仕事も家も決めずに東京に出てきて、とりあえず家を決めて派遣に登録して、とりあえずテレビ局のADとして働き始めて……。
酒缶 すごいところに行ってしまいましたね。
高木 「何でもやらしてくれ!」と思って……。クリエイティブなところの近くにいたいと思っていて、テレビ関係の仕事があったのでそこで働きました。
酒缶 テレビも下働きだとなかなかクリエイティブにたどり着けないでしょう?
高木 たどりは着かないですけど、なんとなくクリエイティブな場面を目にすることは多くなってきますし、人とのつながりもできてきました。自分の中で夢を追うのは26歳までと決めていて、テレビの仕事を1年半くらいやってそろそろ行動をしないといかんと思った時期にテレビの関係者の近親者にゲーム会社のプロデューサーがいたので、その人に企画書を見てもらい、アドバイスを貰いました。そして、就職活動をしたら26歳の手前で開発会社に受かったんです。当時、ドリームキャストのあるゲームが好きでその会社が作っていることがわかったので「ドリキャスのゲーム、最高でした!」と言ったら「うちが作っているのはPS2版なんだよね」(※4)と言われて……。
酒缶 (笑)その頃はまだ業界内のどこが何を作っているかわからないユーザーの立場だったんですね。
高木 開発会社に入って、始まっていたプロジェクトのプランナーとして仕事を始めて3日くらいで専門学校の何倍も学べて、そこから2年くらい掛けてゲームが完成しました。実際、結構気持ちを込めて作っていたんですけどまだ経験不足なところもあり、やり込めば面白いんですけどやり込むまでのハードルが非常に高いゲームになっていて、セールス的には正直振るわなかったので本当にメチャクチャ悔しかったんです。28歳くらいですね。開発にいて2年間そのタイトルに携わった結果、評価されなかったのが悔しくて……。
酒缶 その時すでに売れるか売れないかが評価、という考えがあったんですね。
高木 どちらかといえばレビューの点数でしたけど、レビューの評価も普通でセールス的にもいまいち。2年間努力した結果がそれで、この悔しい気持ちを挽回するにはまた2年掛かると思った時には、折れはしないですけどいまだに重く残っている部分があって……。だからこそ今でも開発にごちゃごちゃ言うんですけど、開発に嫌われようが何だろうが絶対に最後に評価されないとよくないということをその時に思いました。それでまた新しい企画を作って開発を始めたんですけど、それは中止になっちゃったんですね。それで、その時に30歳手前で、このまま開発会社でいいのかメーカーとかに行った方がいいのか考えて、ゲームをよりスクリプトレベルで作りたいなと思っている自分もありつつ、もうちょっと自分の企画を通したいというところもあって、迷った結果、当時マーベラスにいたプロデューサーが「試しにやってみれば? 半年でいいからやってみなよ」と誘ってくれて入ったら、思いの外合っていたんですね。
酒缶 開発の中で、売り上げを気にできる人ってなかなかいないし、評価をどうとらえるかという部分でも、「あいつらわかってない」となる人もいる中、評価を真摯に受け止めつつ今ここにいらっしゃるというのは、面白いですね。
高木 やっぱり、評価は他人が下すものだとずっと思っていたので、人が面白くないと言ったらやっぱり面白くないんですよ。そこはもう、なるべくちゃんと受け止めようとは思いますね。しんどくなる夜もあるんですけど(笑)。
酒缶 でも、開発にいると1タイトルに集中できるけど、プロデューサーだと何個も同時に動かすので、だいぶ生活が違いますよね。
高木 生活は……そうですね。変わりましたね。考え方も変わりましたし。当時、僕が入った頃のマーベラスは年間30本以上、毎週何か発売しているようなすごい時期だったので、入っていきなり4、5本担当して、半年後には出さなくてはいけないとか。
酒缶 大変ですよね。
高木 大変でしたけど、僕的には楽しかったですね。いっぱい手を出したい方なので。
酒缶 わかります(笑)。ただ、マスターアップの時期が一緒だと地獄(※5)ですよね。
高木 ありますね。毎月ずっとマスターという状態が何カ月も続くみたいな。
酒缶 伸びるとマスターの時期が重なっちゃうじゃないですか。
高木 ヤバい瞬間もいっぱい……悪いことは忘れていくことにしていますけど、ヤバい時期もありましたね。