【第1回】赤い紐 | マイナビブックス

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エクソシスト介護士

【第1回】赤い紐

2016.06.02 | 逢恋

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赤い紐

 

 その日は少し曇っていた。

 雨の心配はなさそうなので俺達は湖畔でのバーベキューを予定通り行うことにした。

 今日は、交際したいと狙っている女の子が一緒なので気持ちは最高のはずだった。

 しかしなぜか俺の気はめいったままだ。湿った重い空気のせいだろうか。

 

 最初は映画とかカラオケとか、街でデートを考えていたのだが、ふとした会話の中で、彼女がキャンプやバーベキューをしたことがないことが判明した。

 なるほど。これは好都合だ。俺はそう思った。なぜなら女性のハートをがっちりつかむには、未知なる体験をさせるのが一番だからだ。女は自分の知らない世界を知っている男がことさら魅力的にみえる。だから俺は、ここは是が非でも彼女にアウトドア体験をさせたくなり、計画したのだった。

 とは言え、俺も本格的に知っている方ではない。たまに職場の仲間に誘われて河原で焼き肉を楽しむぐらいだったので、そっちに詳しい先輩に相談し、すべて企画してもらったというわけなのだ。

 今回一緒に行く先輩は俺の2歳上。同じ高校の同じサッカー部だった。

 が、当時はそれほど親密というわけではなかった。いや、むしろ花形選手の先輩と補欠の俺ではかかわりようがなかった人だった。

 だが俺が就職してみればそこに先輩がいた。むろんここでも深いつき合いはないと思っていたのだが、先輩は俺の顔を覚えてくれていた。そして同郷のよしみも手伝ってか、先輩は俺を特にかわいがってくれた。もっともこの先輩は、なにかと面倒見のいい人で、他の後輩や職員、みんなからも慕われていた。

 そんなわけで、俺は先輩と仲良くさせてもらっていたのだが、先輩の彼女さんを見るのは今日が初めてだった。先輩に彼女がいることは、彼の会話からよくわかっていた。だが、俺に彼女がいないので、一緒に出掛ける機会がなかったのだ。

 一度お目にかかりたいと思っていただけに今日はひとしお感がある。

 思い描いていた通り、連れだって来た彼女さんは長い髪が印象的な美人だった。

 スレンダーなカラダをタイトなジーンズにすべりこませたカッコイイ女性だった。

 ラクビー部によく間違われる先輩のごつい体型とは正反対。美女と野獣とはこのことかと思うと吹き出しそうになる。

 むろん俺たちとは違って、先輩と彼女さんはつきあってもう5年になるそうだ。

 そろそろ結婚を考えているみたいで、先輩の口から責任とかけじめとかいう単語が時々でるようになった。家庭を持つことへの不安と期待を混ぜ込みながら「お前も早く彼女をつくれ」と飲んだ時に説教を垂れる先輩の笑顔が俺は好きだった。

 だから今日は4人で楽しい一日がすごせると思っていた……。

 

 国道から少し入った林道に車を止めて、俺達はそこから歩いて湖畔にでた。

 透明度の高い水が綺麗だった。そして、眺めの良い場所をみつけ、バーベキューの準備を始めた。

 炭に火をつけるのはなかなか大変なことで、いつもは誰かにやってもらっていた俺だったが、今日はそうもいかない。彼女の前でいいところを見せなければならない。

 さっと火をおこし、ナイフ一本でいとも簡単に調理する。世界が二人を残し崩壊してもこの男となら生きて行ける。そう彼女に思わさなければなるまい。

 俺は決意を新たに炭と向かい合った。が、しかし、もうすでに先輩が、

「これを使うと簡単なんだ」と言って着火剤に火をつけ、炭の下に置いていた。

 炭は見る間に赤くなった……。

「わあ、すごいですね!」

 これは俺の彼女が先輩に送った言葉だ。

「……」

 よし! ならば具材の調理だっ! 俺は玉ねぎの皮を剥こうとナイフを握った。

 だが、剥けども剥けども皮ばかりだ。

「お前、何やってんの?」先輩はあきれた。

「……」

 なるほど。これが八方ふさがりというやつか。

 先輩のごっつい手が器用に肉や野菜を切り分けていく。先輩ならきっといい家庭をつくるでしょう。彼女さんもきっと幸せな奥さんになると思いました。二人の楽しそうな笑顔を見ているだけで、僕の心はあったかくなるのでした。(あーあ)

 俺は泣きそうな顔で彼女を見た。彼女がそっと視線を外したのは痛かった。

 考えてみればこんなになんでもできる完璧な先輩と一緒に来たのが間違いだったようだ。俺のドジで不器用さがことさら目立つ。でも、こんな良い先輩に恵まれたことは俺の

 人徳ってやつだろう。俺はそう思い込むことにして酒やジュースをついで回った。

 

 楽しい時間が流れた。料理もうまい。話も弾む。それにしても先輩と彼女さんは仲がいい。俺もはやくこの子とこんなふうになりたいと何度も思った。

 すると彼女も同じことを感じたのか、俺の手を握ってきた。おお! やった!

 幸せな人と一緒にいるとこっちまで幸せになる。本当にこの先輩に相談して良かったと

 俺は感激した。

 

 楽しい時間はあっと言う間にすぎ、いつの間にか時間もそろそろ夕方になってきたので俺達はかたづけを始めた。

「思い出とゴミはちゃんと持ち帰らないとな」

 などと先輩が先生みたいなことを言う。彼女さんも笑っていた。

 だが、その時だった。

 奥の林からなにかガサガサと音がした。

 その林の奥は湖で、俺達のいた場所はちょうど陸地がせりだしたようになっていた。

「なんだろう」

 先輩が手を止め、林をじっと見つめた。

 するとまた、ガサガサとなにか動物が動く気配がした。

「犬ですかね?」

 俺もちょっと心配になり、音のする方をじっと見た。

 するとその時、林から全身ずぶ濡れの男がゆっくり歩いて出てきた。

「きゃ!」

 彼女と彼女さんは、先輩の後ろにあわてて隠れた。

 俺は頼りにならないのかと少しへこんだが、そんな場合ではない。

 その男はスーツ姿だった。ぐっしょりと濡れていた。そして、1歩2歩とゆっくりこっちに近づいて来た。俺と先輩は身構えた。そしてその時、その男が顔をあげた。

 その顔を見た俺は驚いた! なんとその男は!

 

 先輩だった!

 

「え! うそ! 先輩が二人!!」

 俺は思わず叫んでしまった。先輩も思わぬ事態に声が出ない。俺たちは息をするのも忘れたかのように動くことができず、ただその男を見ていた。

 するとその先輩そっくりな男が

「彼女が死んだ……」と、言った。

「え?」先輩は嫌な顔をした。

「彼女が死んだ。俺は生きている」

「……」

「彼女が死んだ。だが俺は生きている」

「だからなんだ! お前はだれだ!」

 先輩は声を荒げた。

「な、こ、これを切ってくれ」

 男はそう言うと自分の胴体にしっかりとぐるぐる巻きに結び付けていた赤い紐を俺たちに見せた。

「頼む。これ……切ってくれ」

 そう言うと男はどんどん近付いてきた。

 俺はその紐の赤さにびっくりした。本当に鮮やかな赤だったからだ。

 そして男が近づくにつれ、

 ずる……。ずる……。となにかを引きずる音がした。

 男は重そうに赤い紐を引っ張りながら、どんどん近寄って来た。

 そして俺たちははっとした。男の胴体に巻ついた赤い紐のその先。

 その先にはなんと、彼女さんの溺死死体が結びつけてあったのだ!

 俺達は恐怖で言葉を失った。

「な、彼女死んだんだ。俺だけ生き残った。だから、この紐……。この紐、切ってくれ!」

 男はそう言うと、赤い紐をぎしぎしと噛み始めた。

「こ、これ! 早く! 切れ! 切って!」

 ぎしぎしぎし……ぎしぎしぎし。

 男は必死の形相で紐を噛んだ

「早く切れー!」

「いやあああ!」

 俺の横にいた彼女さんはショックで倒れた。俺はあわてて抱きとめた。

「うそだあああああ!!」

 先輩も頭を抱え、その場にしゃがみ込んでしまった。

 するとその男と、女の死体は消えてなくなった……。

 

 それから5年。

 我々が見たあの男女は、いったいなんだったのか。

 あれ以来彼女さんの行方はわからない。彼女さんの親すら彼女の生死を知らない。

 先輩も精神を病み、一人入退院を繰り返している。

 まったく何もわからない。

 ただ、まさにあの日に、俺達の会社の女の子が自殺していた。お腹には父親のわからない子供がいたそうだ。赤い紐で首をつり、手には何かの御札を握りしめて苦悩の表情で死んでいたらしい……。

 あれは呪いだったとでもいうのだろうか。先輩がその子を捨てたともっぱらの噂だったからだ。先輩のようないい人でも闇を抱え地獄に落ちるのか。

 もしそうだとしたら、俺みたいな中途半端な人間はどうやって生きてゆけばいいのだろうか。

 俺はあの時の彼女と結婚できたものの、それ以来自分の足元にはいつも深い闇が口を開け、俺が落ちるのを待っているような気がして生きた心地がしないでいた……。