【第02回】昭和23年(1948) | マイナビブックス

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昭和流行語グラフィティ 第二巻

【第02回】昭和23年(1948)

2016.01.28 | 現代言語セミナー

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昭和23年(1948)

敗戦の傷手が尾をひく暗い世相、その重苦しさをひっくり返すように、ブギの女王笠置シズ子の歌声が巷に流れた。そして天才少女美空ひばりも登場、食糧・物資不足に苦しむ人々の励ましとなった。11月には東條らA級戦犯者に死刑の判決が言い渡された。

 

サマータイム

GHQの指導により、5月2日午前零時から9月の第2土曜まで、全国一斉に時計の針を1時間進めて、日中を有効に利用しようというものだったが、日本の実情には合わず、不評につき27年には廃止となった。

 

斜陽族

没落する旧華族を描いて、評判を呼んだ太宰治の小説『斜陽』から流行したことば。
実際に、戦後、没落した上流階級は多く、元首相東条英機の実弟が浮浪者として保護されたり、元子爵が窮乏から自殺するなどの事件が起こっている。

 

ニュールック

フランスのデザイナークリスチャン・ディオールが第1回コレクションで発表したすそ幅がたっぷりしたロングスカートのデザインが、アメリカに渡り、「ニュールック」と名付けられて流行。
日本でも翌23年ごろから、急速に広まった。

 

アロハ・シャツ

この年の夏、派手な色彩と模様が入ったアロハシャツが流行。ポマードをたっぷりとつけたリーゼントにアロハシャツの若者が街中にあふれた。

 

主婦連

政治や経済に主婦の発言を反映させようと、9月15日、奥むめおを会長とする「主婦連合会」が結成、しゃもじをプラカードにして歩く“おしゃもじ運動”で注目を浴びた。

 

ロマンス・シート

東京丸の内のスバル座に、男女同伴専用の座席「ロマンス・シート」が登場。仲良く寄り添って映画を見られると、若いカップルに人気を呼んだ。その後、「ロマンス・シート」は、喫茶店などにもつくられた。

 

110番

戦後の混乱のなかで、犯罪の発生件数が急増した。このため、警視庁は、10月1日から犯罪通報専門電話「110番」を設置した。

 

輪タク

戦後の燃料不足の折に、庶民の足として普及したのが、自転車に幌つきの人力車を接続させたような、輪タクであった。

 

てんやわんや

この年の11月から毎日新聞に連載された獅子文六の小説『てんやわんや』から流行した言葉で、「各自勝手に」の“てんでん”と、「むちゃくちゃ」の“わや”がくっついてできたことば。

 

男娼

女装して、男客を相手に売春する男の人のこと。おかまともいう。
11月、上野公園を巡視中の田中警視総監が男娼に殴られ、その存在が知られるようになった。

 

ラーゲル

ロシア語のlager。ソ連に抑留されていた人達が帰国して伝わった言葉で、捕虜収容所の意味。
他にも、ダモイ(帰国)、ノルマ(社会主義国家で労働者に割り当てられる仕事の基準量)などの言葉が広められた。

 

バタフライ

ストリップ・ショーの踊り子が陰部を隠すために用いる蝶形の布のこと。

 

鉄のカーテン

Iron curtainの訳語。イギリスのチャーチル首相がアメリカで演説した際に使ったことばで、ソ連などの社会主義圏と、資本主義圏との障害をいったもの。これが流行語となり、日本でも皇室を「菊のカーテン」などと呼んだ。

 

老いらくの恋

11月30日、68歳の歌人川田順が、弟子の元教授夫人鈴鹿俊子と熱烈な恋に陥り、家出をした。
その時、川田が友人に送った詩『恋の重荷』の一節に「墓場に近き老いらくの恋は怖るる何ものもなし」とあり、これを新聞が報じ、有名になった。

 

帝銀事件

ど んよりと寒い1月26日の午後3時過ぎ、閉店直後の帝国銀行椎名町支店にやせた初老の男が現れた。その男は「集団赤痢が近所で発生したので、進駐軍の命令 で予防薬を呑んでください」と行員とその家族、計16人に青酸化合物の毒液を呑ませた。「東京都防疫班」という腕章をしていたため、全員が疑問を抱かず飲 み、12人が死亡した。
一時は、細菌部隊の異名をとる関東軍七三一部隊のしわざともいわれたが、8月21日、テンペラ画家の平沢貞通(当時56歳)が逮捕された。
犯行を自白したと発表されたが裁判で平沢は「拷問により自白を強制された」と主張。物的証拠もなかったが30年5月7日、死刑が確定した。以後、平沢は31年間に17回の再審請求を行ったが容れられず、62年5月10日、東京八王子の医療刑務所で95年の生涯を閉じた。