郷土の名誉をかけた甲冑競馬
群舞が終わり、「甲冑競馬」が始まる。旗指物を背にした騎馬武者たちが郷土の名誉をかけて走るのだ。
人々が興奮すれば、馬たちも奮い立つのだろう。なかには武者を振り落とし、止めに入る人々を交わして場内を走りまわる馬も出て場内の笑いを誘う場面もあった。正直なところ、馬も人など乗せず自由に走りたいのかもしれない、と考えるとおかしくなる。
旗指物の印は各人が所属している郷のマークで、それぞれの郷の期待を背に競技に参加しているわけだ。その色とりどりの旗をはためかせて走る姿は美しく、正也はレンズを向けながら涙ぐむような気分になる。
けれど、こうした子供時代の感情は、ある時期を境にきれいさっぱりと正也の記憶から抜け落ちたのだった。そのため、働き盛りの頃は競馬などを見る機会があっても何の感興も湧かなかったものだ。
その長い忘却の期間があったにも拘わらず、再び気持ちに火を灯したのが盛岡の「チャグチャグ馬っこ」の祭事を訪ねたときだった。
この農耕馬と飼い主との年に一度の祭礼は、現在のところ殆んど形骸化しているといわれている。
耕作にはトラックターが使用されているため馬の出番はない。農家は、この祭のためにのみ敢えて馬を飼育しているそうだ。多分、乗用車を所有するより費用はかかると思われるが、この地方の農民は、この巨大な動物を飼育し続け年に一度の祭に精一杯の飾りを動物につけ、その背に着飾った年頃の娘や孫を乗せ、父や祖父が手綱をとって意気揚々と大通りを行進する。何という心意気――。そのおびただしい華やかな行列を眺めているうち、何故か正也は涙ぐんでしまったのだ。