【検索結果】"現代言語セミナー "の一覧
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昭和55年(1980)
モスクワオリンピックに日本不参加。67カ国が不参加という政治に利用されるスポーツの祭典の実体をさらけ出した。巨人不振の責任をとって長嶋茂雄が監督を辞任、王貞治が現役引退と野球ファンには寂しい年となった。 -
昭和34年(1959)
厚生省が日本人の平均寿命を発表、女子70歳、男子65歳と高齢化社会の到来を予告するものだった。プロ野球界はON時代が幕を明け、長嶋は天覧試合でサヨナラホームランを放ち、人々を熱狂させた。 -
昭和54年(1979)
戦後最大の入試改革といわれた共通一次試験がスタート。定年の男女差は無効の判決が下され、商船大は女子の受験を認めると発表、秋には第1回東京国際女子マラソンが開催されるなど女性の時代の到来を告げるエポックメーキングともいうべき年であった。 -
昭和33年(1958)
ロカビリー旋風が吹き荒れたこの年、NHKのテレビ受信契約者が100万を突破、テレビは電気洗濯機、電気冷蔵庫と並んで、現代の“三種の神器”といわれる人気商品となった。皇太子妃に正田美智子が決定、平民から初のお妃の誕生に話題騒然だった。 -
昭和53年(1978)
タバコの売上げに影響が出るほど、嫌煙運動が本格化したこの年、新年早々、2時間9分5秒6の好タイムで、宗茂が世界歴代2位をマーク、12月の福岡国際マラソンでは早大生の瀬古が優勝し、マラソン界に新風を吹きこんだ。 -
昭和32年(1957)
東海村の原子炉に着火。日本も原子力時代へと1歩を踏み出した。東京でアメリカしろひとりの異常発生と、ソ連の人工衛星スプートニク1号が打ち上げに成功し地球を周回、元満州国皇帝の姪が同級生と伊豆天城山で心中した事件が大きな話題となった。 -
昭和31年(1956)
7月に出された経済白書が「もはや戦後ではない」と宣したこの年、石原慎太郎が「太陽の季節」で第34回芥川賞を受賞、作品に現れる若者の生態は人々に戦後は終ったの観を深く与えた。年末には国連加盟を果たし、日本もようやく国際社会の一員となった。 -
昭和52年(1977)
新年早々、ロッキード事件の初公判が開かれ、成田空港反対運動の象徴「大鉄塔」は横倒しに、そして日本赤軍が日航機ハイジャックというなかで、樋口久子が全米女子プロで日本人初優勝、王756号ホームラン世界新達成の朗報もきかれた。 -
昭和10年(1935)
美濃部達吉の「天皇機関説」問題で大揺れに揺れた年で、軍部の突き上げにより、政府は「主権は天皇にあり」との声明を二度も発した。この年のヒーローは東京・渋谷の忠犬ハチ公と“暁の超特急”吉岡隆徳だった。 -
昭和51年(1976)
ロッキード事件に揺れたこの年、国民の間に政治不信は強く広がり、クリーンを標傍の三木内閣の支持率も大幅低下。五つ子誕生と植村直己の北極圏12000メートルを犬ぞりで単独踏破の快挙だけが明るい話題の年だった。 -
昭和30年(1955)
4月、アジア諸国会議とアジア・アフリカ会議が開催され、沖縄復帰などの決議と、平和を求める共同宣言が出された。後進といわれ国際政治の舞台から疎外されてきたアジア・アフリカ諸国が台頭をみせた年だった。 -
昭和9年(1934)
東郷平八郎元帥の葬儀が6月5日、日比谷公園で行われた。初の国葬だった。秋には全米野球チームが来日、ベーブ・ルース、沢村栄治らの活躍に人々は熱狂した。12月26日、日本初のプロ野球チーム「大日本東京倶楽部」が誕生した。 -
昭和50年(1975)
完全失業者が112万、不況がしのび寄る気配の中で、全英オープン・テニスで沢松・キヨムラ組が優勝、広島カープが26年目にして初優勝の話題が人々を感動と興奮に引きこんだ。 -
昭和29年(1954)
世界的セックス・シンボル、マリリン・モンローが来日。角界からプロレスに転身した力道山の人気がプロレス・ブームをまきおこした。ビキニ海域で行ったアメリカの水爆実験は第5福竜丸の久保山さんらの死亡という悲劇を生み、強い放射能をふくむ死の灰を日本上空に降らした。 -
昭和8年(1933)
プロレタリア作家小林多喜二が逮捕され、拷問の末、虐殺された。アメリカは満州国の不承認を各国に通達、日本は軍を万里長城に進め占領。日本は国際連盟をも脱退、世界の孤児となる道を選んで行った。迫り来る暗雲を吹き払うかのように東京音頭が大流行した。
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