【検索結果】"吉原みどり "の一覧
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帰国してからしばらくは一種の躁状態で、何はともあれ仕事、仕事で手一杯だった。それにまず肉体労働をしたのが良かったのである。しかしときが経つにつれ、欲が出て来たのか、イラ立ちと焦り、その次は気落ちの三本立てが代わるがわるやって来た。
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新学期、いよいよ音楽家になれる! 張切った。一時間目の授業はソルフェージュ。こんな言葉は初耳である。練習曲を歌うことだそう。真っ先に「ハイ、貴女」とさされ、狼狽ろうばいした私は蚊のなくような声で「あの、風邪ひいているんです」と言った。
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【第3回】天からバイオリンが降ってきた! その上映画も……。
中学二年の一学期、学校に月謝を払いに行ったら、どうした間違いか支払いは済んでいると言われた。この宙に浮いたお金を家に持って帰ったら、家族会議の末、母が言った。
「それじゃあピアノは無理だけど、バイオリンなら買えるかもしれないわ」 -
さて思い付いたは良いが、イタリア語で今すぐお金になる見込みはゼロ。また新聞を広げると「語学に興味のある貴方へ、歩合制、高収入、年齢不問」という、これぞ私向きな求人広告を見付けたので行ってみた。結構大きい会社である。
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私は一九三七年、東京は阿佐ヶ谷生まれ。女ばかり五人姉妹の末っ子である。
幼稚園の頃、家にはおもしろいものが沢山あった。砂漠の向こうに立っているラクダの絵や先がギザギザになってそっくり返っている舟の模型など。中でも特にお気に入りだったのは、父がヨーロッパへ行ったとき作ったスクラップ・ブックである。 -
この料亭は私でさえも名前を聞いたことがあり、値段も高く客単価は五万円以上だった。オーナーは衆議院議員で永田町の陰の実力者と言われる人物だという。お客は有名企業の社長達で、接待される側は現職の大臣や役人も多いという。
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一九七三年(昭和四八年)十二月二十二日夜。イタリア、ミラノ中央駅のプラットホームはクリスマスの帰省客でごった返していた。ロンドン行列車の出発時刻はとうに過ぎた。かれこれ半刻、私は、数メートル先のベンチに置かれた丸い風呂敷包みから目を離せないで居る。
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ロンドン経由で帰国し、新宿でアパートの一部屋を借りた。それはミラノの家のバスルーム位、部屋というより納戸の隠し戸棚みたいだった。ずっとこの中に閉じこもって居たい。しかし、隠れて居られる場合じゃないのだ。まず仕事を探すこと。
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昨年(二〇一二年)、私は後期高齢者になった。本物の老人に指定されたのである。
そういえば思い出した。むかし、音楽で生業を立てていた頃、オーケストラの楽員たちがくり返しが多くやたらに長い曲を演奏するとき、譜面上の演奏指定記号などを確認しながらうんざりしてとなえていたざれ歌を。
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