【検索結果】"ナリタマサヒロ "の一覧
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ここで我々は、時計の針を信玄と勘助が面談した天文12?年(1543)から、2年ほど前に戻してみることにしよう。
天文10?年(1541)、信玄は実父・信虎を駿河の太守・今川義元の元に追放した。これは、事実上の信玄による無血クーデターであったが、その原因は、信虎自身による、数々の失政や悪行と呼ぶべき振る舞いにあったと伝えられている。 -
これまで、我々は山本勘助サイドから、武田家への就職の経緯について眺めてきた。
しかし、就職後の勘助の活躍をトレースするにあたり、実は勘助の就職前の武田家側の事情や状況を把握しておかなければ、彼がどういう役割を期待されていたのかを、正しく理解することは出来ないだろう。 -
さて、日本陸軍参謀本部といえば、明治4年に兵部省に設立された陸軍参謀局に始まる戦前の軍令の管理機関である。そこでは、軍事行動に関する研究が日夜、行なわれていた。
明治期の「軍事研究」といえば、興味深い逸話も残っている。
この陸軍参謀本部では、参謀課将校が配属されているが、彼らを養成する機関として、陸軍大学校が創設された頃の話である。 -
最近、ビジネスマンの間で話題となるキーワードのひとつに「インテリジェンス」という言葉がある。週刊誌の経済記事などでも、有識者の対談などでも、頻繁に目にするようにもなった。
「インテリジェンス」とは、一般には「情報戦略」というニュアンスで用いられていることが多いようだが、もともとは、英国流の植民地統治支配や国際戦略において、重用されてきた軍事用語なのだ。 -
【第1回】第一章 山本勘助とは、何か? ――勘助流処世術の学び方
「歴史」というものは、古代ギリシャのヘロドトスの時代から、後進の我々にとって、生き方となる指標を示してくれている。
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」とは、「鉄血宰相」といわれたドイツ帝国の初代宰相となったビスマルクの言葉であるが、我々がより良く生きるためには、過去の歴史の中から、参考となる生き様を正しく学ばなければならない。 -
「このごろ、都に流行るもの、夜討強盗、謀綸旨(にせりんじ)……」
ご存知、日本史の授業で有名な「二条河原の落首」である。
「落首」とは、時の為政者に対する批判や、社会の風潮に対する風刺などを謳った、匿名の詩歌を指している。
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