寡黙の花が悼んでいる
蟻が黙々と
あの丘の向こうへと
見えるのはアノニマ
という名の
なにもない国
雨が洗いながせば
すこし静かになる
潰えていくのは
無垢か無口か
アノニモという名の
眼のない種が
まもなくあの庭で
暗黙のわれわれの手で
身も蓋もない
無に帰さんとしている
*
7月9日
今日公開された、野々村議員釈明会見をもとにしたこの連載の9回目の僕の詩(http://book.mynavi.jp/blog/poem/2014/07/09/1613/)に様々なリアクションが届く。
あの会見は、如何なる観点からみてもリアリティは持てないが現実でしかないという、現実の不可解さを象徴する事柄で、それについては、今年の現代詩手帖七月号で書いたばかりだった。
僕は野々村議員が変人だとは思わない。疑惑の人物だが、それだけではあんな大騒ぎにはならない。彼が変人だからあんな感じになったと切り捨てるのでなく、不可解な現実の中に自らと共通する「普通」を見出したかった。
「普通」「現実」の持つ業の深さが生み出した光であり闇、それがあの会見だったのだ。書かずにはいられない。
そして何より、あの会見の言葉そのものの力が強かった。号泣して嗚咽で言葉が乱れる。そのシンプルな構造で、自分にはあれだけの言葉は書けない。彼の言葉の強さと、それを的確に、淡々と文字起こしした方の献身が生み出した賜物だろう。嫉妬したことは素直に認める。
釈明会見について書いたら自分が釈明じみたことを書く羽目になった。これが言葉の業なのか。恐ろしいんだナ゛ッ!(T)
7月9日(水)
イメージフォーラムへ。1965年に1000人の共産主義者を天国へ送った人が、その栄誉を称えられ金メダルを授与される映画。エンディングクレジットにやけに「ANONYMOUS」という名前が多い。インドネシア人によくある名なのだろうか。(Y)
7月9日(水)
夜になりムクゲの花が萎んでいる。クチナシの匂いがするがなぜかどこにも花が見当たらない。蟻の行列を辿っていけば辿りつけるのかもしれないが、蟻たちも姿を見せない。人間ばかりやけに騒々しい。(K)
2014.7.16