NEWSの加藤シゲアキが執筆した小説を映画化した『ピンクとグレー』が2016年1月9日より公開されます。芸能界を舞台にしたこの青春小説を、非常に斬新なスタイルで映画化した行定勲監督にお話を伺いました。
──映画『ピンクとグレー』は、原作のミステリー的な構造をわかっているはずの人でも驚かされてしまうという凄い作品です。
「加藤さんの原作を読ませていただいたのですが、デビュー作としては、かなり賢い作品で、鮮烈な印象を受けました。映画からフィードバックしたような感覚もあり、非常に複雑な構造を自分のものにされています。また、アイドルや作家である彼にとってのメタフィクションとしても成立しています。これは加藤シゲアキにしか作れない世界なので、それをなぞって映画にしてもつまらない作品にしかならないと思いました。そこをどう抜けて映画としての立脚点を作るか、非常に悩みましたね」
──前半と後半で全ての印象が変わるのですが、1本の作品として完全に成立しています。
「原作は物語の着地点があらかじめ見えていて、そこに向けて構造的に時間軸をいじって書かれているのですが、映画はそれがないところから始まっていました。元々、原作を元に良質な青春映画的なシナリオとして成立していた前半部分があり、そこで脚本の執筆がいったん止まっていたのです。それから、いっきに後半のあの展開が有機的に生まれました。最初から計算してあのような形になったわけではありません」
──後半は、映画『ピンクとグレー』に関わる関係者や行定監督自身にとってもメタフィクションといえるような展開を見せます。
「原作小説があるので、その存在を既に知っている観客の目線をこの映画は意識しなければなりません。ゼロから作った映画ならそのまま作品を提示できるのですが、この作品の場合、多くの観客は小説でトリックの構造を知っているのです。その状況で、原作に沿ったオーソドックスな作り方はできません。小説の持つ鮮烈さを、小説を知っている観客に対しても映画なりのカタチで生み出したかったという思いがありました」
──原作の衝撃を超える衝撃を映画で見せるというのは、非常にハードルが高いですね。
「それだけでなく、主人公には映画としての生き方をさせたという意図もあります。小説として読むと凄く衝撃的なことが、映画にしてみると華が見えないという場合が多々あります。それでは意味がないですからね」
──『ピンクとグレー』だけでなく、『ひまわり』、『世界の中心で愛をさけぶ』などの作品でも感じられるのですが、行定監督の作品は題材が全く異なりつつも、死者と残された者というテーマが常に作品の根底にあるように感じられます。
「それはあるかもしれません。ただ、作っているときは全くそのような意識はありませんでした。撮影中に意識していたのは、『人の生きているときにしがみ付いているもの』です。叶わない天才がいて、彼に嫉妬のような気持ちを抱いている主人公がいる。そういったことを意識して撮っていたのですが、作品を観た人からは死者と残された者について指摘されることが多いですね。死に関して言うと、この映画では死んだ人間の言葉を初めて使っているんです。これまで僕の作品では、生きた人間のエゴとして死者や死者の言葉を描いていました。死者が自分の言葉で生者と話すという構造は初めてで、能や狂言のようなスタイルですね」
──死に対する捉え方も、監督の中で初期作品とは変化してきたのではないでしょうか。
「そもそも、死は特別で一番嫌なことなのですが、日常の中ではいつか忘れてしまいます。死者はいつも心に中にあるはずなのですがやり過ごしてしまう。若い頃はそのことが許せなかったんです。でも年をとって、自然とそれでいいんだと考えるようになってきました。そういった心情はこの作品にも反映されているかもしれません。作品を観ていただけるとわかるのですが、原作の加藤さんと映画の僕では、死に対する捉え方が大きく違っています。これは、僕が年齢を重ねたからですね」
行定勲監督の映画『ピンクとグレー』は2016年1月9日より全国ロードショーです。
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