哲学的ロマンチックコメディ映画『森のカフェ』監督インタビュー


森の中で出会った若き哲学者と不思議な女性の交流を描いた映画『森のカフェ』が2015年12月12日より公開されます。Creative Nowでは、この作品を監督した榎本憲男氏にお話を伺いました。


 

榎本憲男(映画監督)
1987年、銀座テアトル西友(現 銀座テアトルシネマ)のオープンを手がけ同劇場支配人に就任。脚本を独学で学び1991年、ATG脚本賞特別奨励賞受賞。1995年 テアトル新宿支配人就任。映画『身も心も』(1997年)でプロデューサーデビュー。2010年に東京テアトルを退社し、『見えないほどの遠くの空を』(2011年)で監督デビュー。同名小説(小学館刊)で小説家としてもデビュー。小説の最新作に『エアー2.0』(小学館刊)がある。最新監督作品『森のカフェ』は2015年12月12日より全国順次ロードショー。

 

──どのようにして『森のカフェ』は生まれたのでしょうか。

 

「昨年、住み慣れた新宿から東京郊外に引っ越したんです。新しい家の近所に凄く良い感じの森と公園があって、そこからこの映画のアイデアが生まれました。紅葉が綺麗な森を舞台にしたファンタジックなロマンチックコメディに、奇妙な味わいとして哲学や歌を加えたという感じです」

 

──コメディ映画で精神医学や心理学などが扱われることは多いのですが、哲学がテーマになっている作品は非常に珍しいですね。

 

「ロマンチックコメディはキャラクターの掛け合わせがある程度は決まってくるものなんです。ヒロインはキュートなお転婆か壊れキャラの美女。男はいい加減な色男かちょっと風変わりな研究者や好事家タイプ。この映画では、何かを研究している変な男ということにして、ギリシャ哲学ではなく近代哲学を研究している男に決めました。そう設定することによって、僕が興味を持っている合理主義の外側、計算不可能性を描きたいと思ったんです。合理主義の外にあるものを表現するときに、哲学というのは良い選択だと思いました」

 

映画『森のカフェ』
若手の哲学研究者 松岡は新しい論文を書き上げることができず苦しんでいた。気晴らしに近所の公園に行った松岡は、この場所を『森のカフェ』だと言い張る若い女性に出会うのだった……。
(C)Norio Enomoto

 

──哲学、計算不可能性といった題材は、邦画では非常に馴染みがなく成立しにくい企画のようにも思います。

 

「そうですかね(笑)。成立しにくいのではなく、ほかの作り手の方が興味を持たないというか、やらないだけなのだと思います。あるいは、作り手が計算不可能性を安易に信じきっているのではないでしょうか。端的に言うと、映画は芸術で、芸術は計算不可能性の側に立っている存在です。でも、それが脅かされているということに作り手が無頓着な側面もあると思います」

 

──作品を観させていただくと、初期衝動的な勢いで監督されていたのかと思っていたのですが、実際にはかなり理詰めで作品を構築されているのですね。

 

「それは僕の年齢のせいもあると思います。もう、思いの丈や感性だけで映画を作るという年齢ではないですから。こういう作品を作りたいという衝動が、僕の場合は、ロジックに支えられているのだと思います。計算不可能性を信じたい。合理主義の外側に向かって映画を撮るというテーマは感情的になりやすいのでしょうが、映画を構築していくロジックは必要だと思います」

 

──作品の着地点があくまでもリアル志向だったのも意外でした。

 

「ふわふわしっぱなしだとファンタジーになってしまいますから。ファンタジーな要素を入れることとと、ファンタジーそのものを撮ることは違うので、『森のカフェ』ではファンタジーになりきらないように意図していました。邦画では、ファンタジー的なものはアニメーションや漫画原作で、実写ではリアルを追求するという分かれた流れがありますが、僕はそこを繋げて作品を成立させたいという意識があります」

 

──題材自体は難解にも関わらず、物語は非常に分かり易く明るいですし、劇中に登場するイラストや音楽もキュートなものになっていますね。

 

「イラストや音楽はそれぞれの担当者の個性が出ているので、作品ではその化学反応を楽しみました。監督といってもすべてコントロールするだけでなく、その化学反応を楽しむ部分もなければならないと思います」

 

──これまで脚本家として関わられた作品も、女子プロレスの世界や三味線に目覚めるギタリストなど、変わった題材が多い印象があります。これは監督の嗜好なのでしょうか。

 

「それは僕の好みではなく、単にそういった企画だったというだけです。で、今回はロマンチックコメディでしたが、最初はもう少し規模の大きなサスペンス映画を撮る予定だったんですよ。ただ、その企画が流れて、もう少し低予算で成立するものをと考えた結果でもあるのですが、ロマンチックコメディはもともと好きなジャンルで一度挑戦してみたいとは思っていました。ハードルは非常に高いのですが」

 

──榎本監督は以前は単館系の劇場に支配人として勤務していたという異色の経歴の持ち主です。いわゆるアート系映画とそういった作品を好む観客に現場で触れていたわけですね。

 

「僕自身はアート系の映画も見るのですが、娯楽映画が好きなんです。もう少し細かくいうと大作ではない娯楽映画、ヨーロッパテイストのアメリカ映画、アメリカのジャンル映画から影響を受けたヨーロッパ映画が好きですね」

 

──支配人時代から映画監督志望だったのでしょうか。

 

「映画監督になるつもりはありませんでした。映画監督のような表現者は、神からギフト(天分)を与えられている人が就く職業だと思っていたんです。そういう人をサポートしたいと思い劇場支配人やプロデューサーとして活動していたのですが、いつしか自分でやったほうが良い、やってみたいという気持ちが強くなったんです」

 

──劇場支配人の経験は、映画製作にどのように活かされているのでししょうか。

 

「活かされているというか、違いの方が大きいと実感しています。劇場支配人だった頃、自分がヒットすると確信した作品が外れたり、期待していなかった作品がヒットするということが多々ありました。その時は、観客であるマーケット側が正しいという認識で、自分もそちらに合わせていかなければならないと考えていたんです。でも、今は自分はそれが出来ない人間だと自覚しています。つまり会社員としては出来が悪かったと。しかし、ところ変われば品変わるではないですが、ラリーマン時代には呆れられたり、理解してもらえなかったことを語っても、フリーになった今は案外聞いていただけるんです。ですから、今は自分の感覚や立ち位置が自分にふさわしいのではないかと思って監督しています」

 

──やはりご自身も、単館係やアート系と呼ばれるような作品を監督として作っていかれるのでしょうか。

 

「そういう意識はありません。支配人の頃から単館系の映画に対して、『アート映画と単にアートっぽい映画を一緒にするな』という憤りがありました。映画史でいえば、大きく分けて大体1920年代頃から、映画はアメリカでは商品で、ヨーロッパではアート=芸術でした。芸術は売れなくても潰してはいけない存在です。ですから完成したフィルムは作品として保存される。でも、残念ながら日本映画史上、映画が芸術であると国民に認識された時代はありません。商品である以上、上映期間を過ぎればフィルムは保存されず捨てられてしまっていました。だから、サイレント時代の名作はほとんど現存しません。僕はこの事実にある程度自覚的でありたいと思っています。そして、自分としてはエンターテインメント、つまり観て面白い作品をまずは作りたいと思っています。ただし、面白くて深い、一粒で二度美味しい映画を目指していきたいんです。3.11以降は本質的なものしかやりたくないという気持ちが強くなっていますし、自分が信じる、自分にしか撮れない映画を作り続けていきたいですね」

 

映画『森のカフェ』は2015年12月12日より全国順次ロードショー公開です。

 

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