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NHKの3つの真田ドラマ「風神の門」と「真田太平記」そして「真田丸」

(4)真田親子が信長と対面した法華寺と諏訪大社焼き討ち

2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の第1回と第2回に登場した平岳大さん演じる悲運の武将武田勝頼と縁の深い諏訪と「真田丸」との関連について紹介したいと思います。

前回は、武田一族について紹介しました。今回は、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の第1回第2回に登場した平岳大さん演じる悲運の武将武田勝頼と縁の深い諏訪と「真田丸」との関連について紹介したいと思います。

戦国最強武将の一人である甲斐の武田信玄は、反目していた父信虎を駿河に追放して家督を継ぎ、信虎以上に意欲的に領土を拡大して行きます。しかし、甲斐の国は北に上杉憲政、東に小田原の北条氏康、南に駿河の今川義元、西に美濃の斎藤道三という一筋縄では行かない戦国大名に囲まれており、その矛先は強力な戦国大名がまだ現れていなかった信濃に向けられました。

信濃は、高遠氏、木曾氏、諏訪氏、大井氏、小笠原氏、村上氏、笠原氏などの有力な豪族が支配しており、信玄はこれらの豪族と闘いを繰り広げて領土をその支配下に置きます。しかし、信濃のさらに北の越後には軍神と呼ばれた戦の天才長尾景虎(後の上杉謙信)がいました。信玄に勝るとも劣らない軍略化でありながら、戦国時代において強気をくじき弱気を助けるという清廉潔白の生き方を貫いていた謙信にとって、信玄の欲望にまみれた領土拡大の行為は許しがたいことであり、有名な川中島の戦いをはじめとして常に行く手を阻みました。ところが謙信は信玄の邪魔はしても天下取りの野望は持っていなかったために戦っては越後に戻るという繰り返しでした。謙信のこの行動が、越後、上野、信濃、甲斐、武蔵、相模、駿河、三河といった地域を膠着状態にした原因の一つとも言えます。その間に西では織田信長が勢力を拡大してしまいます。

余談ですが、「真田丸」第4回で、宿敵徳川家康と真田親子が初めて顔を合わせるシーンで、三方原の戦いで家康を痛い目に遭わせた武田家の家来「武藤喜兵衛」なる人物は昌幸ではないかと家康が詰め寄る場面がありました。実は昌幸は、長兄信綱と次兄昌輝に次ぐ三男であったため、当初は信濃の大井氏(信玄の母方の家系)の流れを汲む武藤家の養子になっていました。しかし、長篠の戦いで兄が二人とも戦死したことにより、真田家に戻って家督を継いで名前が変わっていたのです。

信玄が支配下に置いた諏訪の当主は諏訪頼重でしたが、降伏した後に甲府で弟の頼高とともに自害します。これによって諏訪惣領家は断絶し、信玄は側室としていた頼重の娘である諏訪御料人(ドラマでは湖衣姫や由布姫とも呼ばれている)との間に生まれた勝頼に諏訪氏の家督を継がせ、信玄の死去にともない勝頼が武田家の家督を継ぐことになります。
諏訪湖畔

諏訪氏は、信濃の有力な豪族でしたが、諏訪大社の大祝を務めてきた一族という側面を持ち合わせていました。古事記では、出雲大社の大国主(オオクニヌシ)が建御雷神(タケミカヅチ)に国を譲る際に大国主の息子である建御名方(タケミナカタ)が反対したが敗れ、逃げた先の諏訪から外に出ないことを誓ったとあります。諏訪氏は、その建御名方の子孫だと言う説もあるぐらい古くから諏訪の神事を司ってきた家系でした。

諏訪大社は、上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の4つからなる珍しい社です。信濃國一之宮で神位は正一位であり、全国の諏訪神社の総本社ですが、本来は出雲系の神ではなく、ミシャグチ(ミシャグジ)神などの土着の神と関係があるのではないかという説もあります。それだけ古い歴史を持つ社ということになりますが、実は上社本宮の近くにある上社前宮は、本宮の前に位置する宮という意味ではなく、元々の本宮(つまり前の本宮)ではないかという見方もあるぐらいです。前宮のある茅野市には尖石遺跡といった縄文時代の名残も数多くあり、ミシャグチ神との関わりも含めて諏訪大社が単純な神社ではないことは想像できます。
 
諏訪大社上社本宮
 
諏訪大社上社前宮
 
諏訪大社下社春宮
 
諏訪大社下社秋宮

諏訪大社で7年目ごと(6年に一度)に開催される御柱祭は、誰しも耳にしたことがあると思いますが、2016年は正に開催の年となっています。直径約1メートル、長さ約17メートルもある巨木を山から切り出し、川や道を曳くその様子は、他の祭りでは決して見られない壮大な光景です。

「真田丸」の第4回では、信濃に侵攻してきた織田信長(吉田鋼太郎)と真田昌幸(草刈正雄)、信繁(堺雅人)親子が諏訪の法華寺で対面する場面があります。信長は、武田家が崇拝していた諏訪大社の本宮など多くの社を焼き討ちにしましたが、法華寺は残して本陣として使用していました。諏訪大社上社本宮の横にある小さな橋を渡った場所にあり、ドラマでは、明智光秀(岩下尚史)が信長に折檻された場所としても有名です。

法華寺は、諏訪社上宮神宮寺の別当の1つでしたが、明治元年の神仏分離によって廃寺となり、その後大正時代に再興されています。実はこの寺には、赤穂浪士の討ち入りで敵役となってしまった吉良上野介の孫の吉良義周の墓があるのは余り知られていません。ちょっとややこしいのですが、上野介の長男綱憲は上杉家に養子として入り、綱憲の次男の義周は、逆に上野介の跡継ぎとして吉良家に入っていました。しかし、討ち入りによって吉良家は取り潰しになり、義周は諏訪藩に預けの身となってこの地で没するという悲劇の道を辿っています。
 
法華寺
 
吉良上野介の孫の吉良義周の墓

諏訪大社については、ミシャグチ神などを含めて、また別の機会に詳しく解説したいと思いますが、ようやく武田家を滅ぼし、天下統一を目前にして重臣に討たれた織田信長は、石山合戦、比叡山の焼き討ち、天正伊賀の乱、武田の残党狩りなどでの非道の振る舞いが有名でした。古代から続く諏訪の神々の怒りが、あの誰も予想しなかった本能寺の変を招くことになったかどうかはわかりませんが、どちらにしても諏訪大社の焼き討ちがその最後の蛮行となったわけです。

次回は、本連載のタイトルにも含まれている忍者時代劇の傑作「風神の門」を紹介します。
 
【真田丸日記】
第4回「挑戦」の放送が終了しました。武田家の滅亡により窮地に追い込まれた真田一族ですが、因縁浅からぬ徳川家康(内野聖陽)の罠に陥ることもなく、真田昌幸(草刈正雄)の策略によって織田信長(吉田鋼太郎)と諏訪の法華寺で対面を果たし、その傘下に加わることになります。しかし、その代償として真田家の重要な拠点である岩櫃城と沼田城を信長の家臣である滝川一益(段田安則)に渡さなくてはなりませんでした。昌幸の父幸隆と叔父の矢沢頼綱(綾田俊樹)と命がけで手に入れた領土だけにその悔しさは並ならぬものがありますが、小山田信茂(温水洋一)や秋山信友といった武田の重臣の多くが処刑され厳しい武田の残党狩りが行われていることを考えると贅沢は言えない状況でした。しかし、その信長もわずか数カ月後に自らの重臣明智光秀(岩下尚史)の謀反によって本能寺で最後を迎えることになります。

長野県諏訪市の諏訪湖周辺に諏訪大社の4つの社があり、古代から続く土着の神の信仰に関係する社や縄文時代の遺跡も残されている。上社本宮と上社前宮は、中央自動車道諏訪インターチェンジよりすぐのところにある。下社春宮と下社秋宮は岡谷インターチェンジからの方が近い。また、諏訪氏と所縁の深い高島城、上原城跡、桑原城跡も上諏訪駅から茅野駅にかけて点在している。

<上社本宮へのアクセス>住所:長野県諏訪市中洲宮山1。JR東日本中央本線茅野駅より徒歩約35分。参考情報:諏訪大社
<上社前宮へのアクセス>住所:長野県茅野市宮川2030。JR東日本中央本線茅野駅より徒歩約35分。参考情報:諏訪大社
<下社春宮へのアクセス>住所:長野県諏訪郡下諏訪町193。JR東日本中央本線下諏訪駅より徒歩約15分。参考情報:諏訪大社
<下社秋宮へのアクセス>住所:長野県諏訪郡下諏訪町582。JR東日本中央本線下諏訪駅より徒歩約15分。参考情報:諏訪大社

 
 
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著者プロフィール

マイナビ出版 旅・鉄道編集部(出版社)
マイナビ出版の地図・旅行ガイド関連編集部員が、自らの旅の記録を交えつつ、鉄道や旅行の情報をおとどけしていきます。