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NHKの3つの真田ドラマ「風神の門」と「真田太平記」そして「真田丸」

(3)武田一族の武将たち

「真田丸」では、武田家が織田家に滅ぼされる寸前からスタートしているのでほとんどの武田家の武将は最初の数回しか登場していません。忘れられないうちに武田家の武将とキャストについてまとめておきます。

前回は、真田一族について紹介しました。今回は、武田一族について紹介します。「真田丸」や「真田太平記」では、武田勝頼が物語の最初に織田によって滅ぼされてしまうため、かなり貧弱な存在に思えてしまうのですが、勝頼の父信玄の時代においては戦国最強と言ってよい軍団でした。越後の上杉、駿河の今川、小田原の北条という名立たる戦国大名と長年に渡って戦いを繰り広げ、本拠地の甲斐(山梨県)だけでなく、信濃(長野県)もほぼ手中に収めました。信濃侵略の際に真田信繁(幸村)の祖父幸隆が家臣となり、今年の大河ドラマ「真田丸」に繋がっているわけです。前回は、真田一族の武将について紹介したので今回は武田一族末期の主な武将について紹介します。

武田信玄の父信虎(甲斐武田家第18代当主)は、第13代当主武田信満が「上杉禅秀の乱」(1416年)に加担して滅んで以降、長年に渡って一族同士で争っていた武田家を一つにまとめあげるとともに家臣や豪族と婚姻関係を結ぶなどして強力な地盤を築きました。また、意欲的に領土も拡大し、ついに甲斐の国を統一します。さらに駿河の今川義元に娘を嫁がせるなど、外交策も積極的に行いましたが、以前より反目していた嫡子の晴信(信玄)によって今川家に追放されてしまい甲斐に戻れたのは死去した後でした。

家督を継いだ信玄は、強力な騎馬軍団を組織して信濃のほぼ全域を占領し、今川義元が織田信長に討たれるとその領国駿河に侵攻します。さらに徳川家康の三河に侵攻して最終的には京都に上ることが目的だったと言われる西上作戦を決行しますが、徳川家康を散々打ち負かしながら突然甲斐に撤退するといった奇妙な行動を取り(病気の悪化、病死、暗殺など様々な説があります)その後死去したとされています。

武田家の家督は勝頼が継ぎ、信玄の後を受けて積極的に領土拡大に走りますが、長篠(設楽ヶ原)の戦いで織田・徳川連合軍に破れ、最強を誇った武田の騎馬軍団と名だたる武将を数多く失ってしまいます。その後、本拠地を躑躅ヶ崎館から新府城に移転するなどの対応策を取りますが、重要な拠点である木曾谷を守っていた家臣木曾義昌の離反によって信濃侵攻を許し滅亡への道を辿ることになります。「真田丸」はここからストーリーが始まっています。

「真田太平記」の第1回では、信濃の高遠城の落城からドラマが開始します、この城を守っていたのが、武田勝頼の異母弟である仁科信盛(盛信)です。高遠城は、長野県伊那市高遠町にあり、武田氏の重要な軍事拠点でした。木曾義昌や穴山梅雪など、一門衆や重臣が離反していく中で最後まで武田家を裏切ることはありませんでした。織田・徳川軍約5万の猛攻に対して約3千の城兵で抵抗し、信盛をはじめとして多くの武将や家来が討ち死にしてしまいます。「真田太平記」では第1回の高遠城落城の場面で幸村(信繁)に最後まで付き添った従者向井左平次(木之元亮)が、草の者(忍者)のお江(遥くらら)に助けられています。ちなみに「真田丸」の第3回に登場する信幸の妻の「こう」と「真田太平記」の「お江」は別人で、こちらの「こう」は昌幸の長兄の信綱の娘の清音院ではないかと思われます。


【武田家とその家臣】
武田家とその武将は、「真田太平記」と「真田丸」の両作品とも最初の段階で武田家そのものが滅びてしまうので登場回数が少ないのですが、「真田丸」では武田勝頼役の平岳大さんの好演好でドラマが盛り上がりました。今回は、武田信玄の話ではく武田勝頼がメインなので紹介する武将もその範囲にとどめています。

◯武田信玄
甲斐武田家の当主で、上杉謙信や北条氏康、今川義元と熾烈な闘いを繰り広げた戦国最強の武将の1人であり、真田幸隆の主家にあたる。勝頼が天目山で自害する前に現れた信玄の幻は、長年大河ドラマの殺陣師として活躍してきた林邦史朗さんが演じた。林さんは2015年10月に亡くなっており、「真田丸」が最後の出演となった。参考までに2007年の大河ドラマ「風林火山」で主人公の山本勘助役だった内野聖陽さんが「真田丸」では徳川家康役をつとめている。
・「真田丸」=林邦史朗

◯武田勝頼
信玄の後を次いだ武田家当主。信玄の正室の子ではなく、武田家が支配した諏訪領の諏訪御料人の子と言われている。そのため、武田軍団の統率にかなり苦労した面もあり、織田・徳川連合軍に敗退した後は没落の一途を辿り、追い込まれて天目山で自害し武田家は滅亡する。
・「真田太平記」=宏滋晃
・「真田丸」=平岳大

◯小山田信茂
信玄の父信虎の妹の夫である小山田信有の子と言われ、武田二十四将の1人で信玄時代に数々の武功を立てているが、勝頼が岩殿城へ落ち延びる際に離反し、武田家の運命を決定づける。勝頼を見限って織田家に寝返るが、穴山梅雪の調略とは異なり、主家へのあまりの不忠ぶりを信長の嫡男信忠に咎められ処刑される。
・「真田太平記」=戸沢佑介
・「真田丸」=温水洋一

◯小山田茂誠
信幸、信繁の姉の松の夫であり小山田家一門。「真田丸」では岩殿城に向かう武田勝頼を追い返すシーンでも登場している。後に信幸の家老として仕える。茂誠役の高木渉さんは、「名探偵コナン」の小嶋元太や高木刑事として出演している声優。
・「真田丸」=高木渉

◯穴山梅雪
武田二十四将の1人。武田信玄の姉の子であり、さらに信玄の娘を妻に娶りながら、早々に勝頼を裏切って徳川家康に寝返った。武田家滅亡後に徳川家康とともに信長を訪れる途中で立ち寄った堺で本能寺の変が起こってしまい、逃げ帰る途中で一揆に襲撃され死亡してしまう。「真田太平記」で真田信幸・幸村兄弟の従弟である樋口角兵衛役であった榎木孝明さんが、「真田丸」では穴山梅雪役をつとめている。
・「真田丸」=榎木孝明

◯木曾義昌
源平の戦い(治承・寿永の乱)で名を馳せた木曾義仲の流れをくむ家系で信濃木曽谷の領主。信玄の娘を妻にしていたが、信玄の死後没落の一途を辿る武田家に見切りをつけて織田家と手を結ぶ。勝頼は義弟の義昌の裏切りによって織田軍の侵攻をやすやすと許すことになってしまう。
・「真田丸」=石井愃一

◯跡部勝資
「真田丸」では、真田昌幸が新府城から岩櫃城へ移るように勝頼に進めた際に小山田信茂とともに反対した勝頼の側近。最後まで勝頼に付き従って天目山で介錯したものこの人物であった。もともと跡部家は、第13代当主武田信満が「上杉禅秀の乱」で滅びた後に甲斐に遣わされた守護代であったが、第16代当主武田信昌の時代に滅ぼされおり、信玄・勝頼時代の跡部家の出自はよくわからないが、譜代の家臣として登場している。
・「真田丸」=稲荷卓央

「真田丸」では、なんと言っても第1回、第2回の武田勝頼役の平岳大さんの悲哀に満ちた演技が話題になりました。平さんは、平幹二朗さんと佐久間良子さんのご子息ですが、平幹二朗さんと言えば大河ドラマ「武田信玄」で信玄(中井貴一)の父である信虎役をつとめていました。その孫である勝頼役を岳大さんが演じるということで、大河ドラマ好きには感慨深いものがあります。ちなみに岳大さんは、NHK大河ドラマ「篤姫」の徳川慶喜役、「江~姫たちの戦国~」の佐治一成役、さらにはTBSのドラマ「下町ロケット-ガウディ計画」の日本クラインの久坂寛之部長役を演じています。佃製作所に好き勝手言っていた日本クラインの悪役コンビの1人が今回の勝頼と同じ役者さんだと言われると少々ビックリしますが、それだけ演技力が高いということの証です。

武田勝頼は、それなりに強い武将であり、決して愚鈍な人物ではなかったようですが、信玄という偉大な戦国大名の後を継いだ二世であり、生死の界から這い上がって来た経歴を持つ織田信長や徳川家康と相対するには力不足だったかもしれません。また、度重なる領土拡大のための遠征や家臣・領民に対する重い賦役や課税は、人心が離れる原因となってしまい領国の経営という面からも失敗でした。

二世と言えば、織田信長の嫡男信忠、徳川家康の嫡男秀忠、豊臣秀吉の嫡男秀頼、北条氏康の嫡男氏政などがどれほどのものだったのか考えると、特別に勝頼の能力が低かったわけではないでしょう。しかし、父親が偉大であればあるほど、周囲の跡継ぎに対する期待と評価は厳しく、家を存続させていくことの難しさを感じざるを得ません。名を馳せて出世した戦国大名でも家を後世までまで残すというのは至難の業でした。実際、信長にしろ秀吉にしろ、氏康にしろ、家康以外の嫡男は非業の死を遂げています。その中で真田一族は、嫡男であり信繁の兄である信幸が江戸時代も大名として生き残り、幕末まで真田家は続くことになります。

次回は、武田家と縁の深い諏訪について紹介します。
 
【真田丸日記】
第3回「策略」の放送が終了しました。物語の舞台は一気に甲斐から信濃に移ります。武田勝頼(平岳大)が自害し、主家を失った真田家ですが、徳川家康(内野聖陽)や北条氏政(高島忠夫)に対抗して行くために織田信長(吉田鋼太郎)と直接かかわりを持とうとします。元武田家臣であった室賀正武(西村雅彦)との争いや信繁のラブロマンスの相手となるきり(長澤まさみ)や梅(黒木華)も登場します。しかし、まだこの時期は上田城が築城される前で、真田の郷にある真田本城(松尾城)がありましたが、群雄割拠の時代から天下統一へと移り変わる中で、戦も数百から数千の小競り合いから数万人規模に膨れ上がっており、豪族時代の城では真田の郷をはじめとする領国を守るには物足りなくなっており、やがて上田城築城に繋がって行きます。

長野県上田市真田町(旧長野県小県郡真田町)には、真田の郷(真田の里)と真田本城(松尾城)跡があり、城跡は現在公園となっている。

<真田本城へのアクセス>住所:長野県上田市真田町長5029-3。アクセス:上信越自動車道上田菅平インターチェンジより約15分~20分、JR東日本北陸新幹線上田駅よりバスで長小学校前下車約30分。参考情報:上田市

 
 
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著者プロフィール

マイナビ出版 旅・鉄道編集部(出版社)
マイナビ出版の地図・旅行ガイド関連編集部員が、自らの旅の記録を交えつつ、鉄道や旅行の情報をおとどけしていきます。