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歴代最年少名人 芝野虎丸の軌跡

第1局 院生時代  -対 許家元 ③

2019年10月に、史上最年少の19歳で囲碁の名人位を獲得した芝野虎丸名人。新星誕生のニュースは、囲碁界の枠を飛び出して大きく駆け巡りました。
人前で言葉を発することがほとんどなかったというシャイな少年・芝野虎丸は、いかにして碁界の頂点まで登り詰めたか。
名人を一番近くで見続けた兄、芝野龍之介二段が、その幼少期から名人戦までの戦いを振り返りながら、その才能と人柄に迫ります。

勉強法


5譜

中央を白が逃げ出して、乱戦模様です。ただ白は弱い石が3つ、黒は2つなので白の方が苦しそうです。

67が切断を見た厳しい狙いに見えますが、返し技があるようです。

囲碁の勉強法について尋ねられることがよくありますが、特別なことはしていないと自分では思っています。院生の時にどのような勉強をしていたか思い返してみます。私と虎丸で勉強スタイルは違うので、それぞれ述べてみます。
私は院生に入ったのが先ほども言った通り中学1年生の10月です。平日は毎日学校に行き、途中にある10分休みや、授業中まで詰碁をいつもしていました。移動中でも詰碁のプリントを必ず手に持っていました。学校が終わると週3日道場に行き、詰碁テスト、棋譜並べ、対局、毎局ではないですが先生に検討してもらうということの繰り返しでした。棋書を読むことも結構していました。道場がない日は家でネット対局を中心に勉強していました。土日は院生研修に行って、帰ってからはネット碁が基本になっていました。虎丸は院生に入ったのが小学5年生の10月でした。虎丸も平日は毎日学校に行き、週2日道場に行っていました。虎丸は道場では観戦をしていることが私と比べてかなり多かったです。詰碁テスト、対局と検討もし、移動時間では詰碁をしていることが多かったですね。特別なことはしていないですが、勉強環境はとても良かったです。詰碁が欲しいと先生に言えばちょうどいいレベルの詰碁プリントを渡してくれるし、何も言わなくてもこの人の棋譜を並べると良い等、おすすめの棋士を教えてくださいましたし、棋書もほぼすべてがそろっているし、何よりいつでも自分より強い人がその場にいるということは大きかったです。どこが弱点でどこが強みかも教えていただけるので、自分に合った勉強法をいつでも知ることができました。また、家にも棋書が大体そろっていて、囲碁の勉強に集中しやすい環境作りを両親が徹底してくれていたのもあって、悩みがあったら相談もすべて受けてくれていたのでとてもありがたかったです。

テスト対策

6譜
68からがうまい返し技。72のノゾキで黒からAのワリコミ防ぎ、78と押さえることができました。

囲碁の勉強法の中で特に力を入れていたのは詰碁だと思います。洪道場は詰碁を重視することで結構有名だったりします。毎日詰碁テストが行われるので、そこでよい成績をとるために私たちはよく詰碁を解く練習をしていました。私なんかは出てくることのある問題が載っている本の解答を見て覚えてくることで、対策をしていたりしましたが。かなり珍しがられていましたが、詰碁の試験対策で出題範囲の暗記をしていたと言えば普通のことのように聞こえるでしょうか。
こういったこともあり、詰碁テストの成績は虎丸より私の方が良いことが多かったです。

虎丸の創作

虎丸は家でよく詰碁を作っていた時期がありました。私が学校から家に帰ると、碁盤の上に詰碁が並んでいることが多かったです。虎丸が、作った詰碁を私に解かせるために並べているのです。解かずに放っておくと、虎丸がやってきて「この問題解いたか」とか聞いてきて、解いてなかった場合は解けるまでご飯を食べさせてくれないことまでありました。
また、帰って来た時に虎丸がいる場合は、「はい」とだけ言われて碁盤を指さされて、タイマーを開始して解けるまでの時間を測られていたこともあります。普通に詰碁を出されていただけならまだよいのですが、虎丸は答えが複数あったり答えがなかったりする問題も並べることがありました。しかも自分で気付いたうえでのことです。
私が答えを見つけて回答をすると、「バツ。こっちでも生きることができるから失題を指摘するのが正解」だとか、答えが見つからなくてずっと悩んで「これ取る手なくない」などというと、「正解」と言われ、「答え無いのに並べておいて考えさせることするな」と私が怒り気味になるなど、結構私はからかわれ、虎丸は楽しんでいるように見えました。
変な時間の使わされ方をしたことも多々あります。ただ、答えが用意されているのに私が「答え無いだろ」と言い続けて、虎丸は手があることに、私は手がないことに「自信ある」とお互い言って答え合わせして自分の方が間違いだった時は素直に悔しかったです。
洪道場での詰碁テストでは、最終結果の劫の種類や地の損がある等でバツをつけられることもありました。また、手がない問題には「手無し」と書かなければマルがもらえなかったり、答えが複数あるときは指摘しなければいけなかったりもしました。
このような洪道場での厳しい採点基準が背景にあるので、家で虎丸が出してくる詰碁にも気をつけて回答しないといけなかったわけです。虎丸の失題ではない詰碁は碁罫紙にまとめられていて、保管されています。100問近くあったと思いますが、今でもたまに引っ張り出してきて復習をさせられることもあります。最初のころは質の良い問題が多く、難解なものも少なかったですが、だんだん私をからかうためだけに作ったような分かりにくい問題も出されるようになっています。どの詰碁にも私が解かされた思い出が詰まっているので、なかなかになつかしいと思うことができます。


虎丸の創作物です。

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著者プロフィール

芝野 龍之介(著者)