第4回 メーカーの事例にトリセツのWeb化を学ぶ
これまでトリセツの電子化について、法規的な観点と技術的な観点の両面で課題とその回答を探ってきた。最終回は、メーカーによる実際の電子化の取り組みを紹介しよう。いまだに紙のトリセツにこだわる現場からの声も多いといわれるなか、ユーザーへの利益を第一に考え、Web化に果敢に取り組むメーカーのチャレンジを見てほしい。
PDFではなくHTMLで公開する理由
トリセツの一部を紙で提供することを止め、Webで公開する取り組みを始めたメーカーがある。楽器・音響機器メーカー大手のヤマハ株式会社(以降ヤマハ)もその一つだ。ヤマハはプロ用途のアナログミキサー「MGシリーズ」で、トリセツのWeb化の試みを始めている。MGシリーズは昔ながらの音楽用アナログミキサーだが、USBインターフェイスを内蔵し、コンピュータと接続して使うこともできる。Web化の理由を、PA開発統括部 品質保証部 CSグループ 技師補 石川秀明氏は「ドライバはネットからのダウンロードによる提供のみにしています。そのため、トリセツはドライバのダウンロード時にWebで閲覧できるのがよいだろうと考えました」と説明する。製品に同梱されているマニュアルには、『コンピュータと接続する場合はドライバが必要です。Webサイトにアクセスしてください』という説明とURLが書いてあるだけだ。Web化の理由はこれに加えてさらに3つある。まず1つめは、「分からないことがあれば検索エンジンで調べる行為が主流です。ドライバを入手する際に、その動線の中に必要な説明がすべてあったほうがよいわけです」(石川氏)。さらにコンテンツの充実という点がある。「紙では誌面の制約に縛られて、説明を詳しくできなかったり、画像を使わず細かな手順だけが並べられた読みづらい説明になりがちです。HTMLであれば、ユーザーが必要とする情報を必要なだけ掲載することができます」(石川氏)。そして、鮮度の高い情報を常に提供できるメリットもある。「OSが変わると説明も変わります。しかし工場で新しいOSに対応したトリセツを同梱できるタイミングは、OSのリリースに対して遅くなってしまいます。HTMLであればメンテナンスがスピーディーにできるため、我々の設計変更のタイミングでのユーザーの不利益を回避できるのです」(石川氏)。
Web CMSでHTMLの良さをさらに引き出す
先に説明したように紙のトリセツでは使えるページ数に制約がある。しかしWebではページ数の制約がないため、例えば手順説明がだぶっても、同じ内容が必要であればその場所に入れ、ユーザーの読みやすさを優先することができる。『この手順については●●を参照ください』と、いったん別のページを参照させる必要がない。そのページ上で全部情報が揃っているのもHTMLならではのメリットというわけだ。しかしその一方で、同じ内容を複数の場所でだぶって記述する場合、内容の変更が発生したら複数箇所チェックして修正しなければならなくなってしまう。同じ内容なのに表現が異なってくる要因にもなる。この問題を解決するのがWeb CMSだ。ヤマハでは「SDL Tridion」というWeb CMSを採用している。トピック単位で原稿を書き、書いた素材を読み出して、組み合わせてページができるというような使い方ができるというわけだ。加えて翻訳の工数を下げるための役割も大きい。音響営業統括部 PA営業部事業企画課 課長代理 日置猛氏は、「9言語に翻訳するため、作業工数は9倍かかります。だから重複した作業を行うことなく、ページ上では部品化したコンテンツを複数箇所で利用できるシステムは重宝しています」と説明する。
テキストにこだわらず動画やスライドも活用する
同社では、動画の活用もはじめている。「大型ミキサーのファームウェアのアップデートの手順が文章だと伝えにくい。そこで2014年7月から動画での提供を始めました」(日置氏)。動画であれば、ユーザーは見て真似ることができ、場合によっては、文章を読むよりも短時間で手順を知ることができる。「一通り手順を理解させるコンテンツには動画が向いています。ただし長さは3分以内ですね」(石川氏)。動画のメリットは大きいが、数が増えてくると検索性が落ち、ユーザーが欲しいコンテンツを探しづらくなるデメリットが出てくる。そこで、ヤマハではGoogle ドライブのスライドの活用もはじめている。「ユーザーが見たいところはじっくり読むし、飛ばしたいところは送ることができます。しかもスライドには動画を埋め込むこともできますし」(日置氏)。
トリセツをブランディング・売上向上に貢献する活動にする
ヤマハは、音楽用ミキサー初心者に向けた啓発コンテンツも、トリセツからWebに切り出して公開している。1言語あたり40ページ程度の冊子をWeb上のコンテンツに展開しているのだ。「商品を購入する前、購入するとき、使いはじめの準備、使った後というように、お客様のストーリーに沿ったコンテンツ提供に一番よいツールがHTMLだと捉えています」(石川氏)。お客様のユースケースの中でWebに親和性のある部分を全部HTMLにした結果、過去に40ページあったトリセツを一覧性の高いA3のペラ1枚に収めることができたという。
Webサイト上には、「PAビギナーズガイド」というコンテンツがある。実際にPAを使う場合には、マイク、ケーブルというのも当然重要なファクターであるため、PAを使う世界全体を情報として提供している。「プロ用の機材を初心者にも使いこなしていただき、スキルを引き上げていく。初心者の人たちを啓発する役割というものを、ヤマハって担っているのかなと思っています」(石川氏)。
PAビギナーズガイドのもととなるコンテンツは石川氏のトリセツの部門が持っていたものだ。それをマーケティング担当の日置氏の部門で、Webコンテンツ化している。トリセツとマーケティングの部門が一緒に顧客体験を提供することで、顧客のカスタマージャーニーに対し、商品の売上向上につながるマーケティング活動にもなっているというわけだ。
TC協会のマニュアルコンテンストに見る各社のWeb化の取り組み
日本を代表する製造業を中心とするメーカーが会員として参加しており、過去25年間、国内のテクニカルコミュニケーションの世界で指南役として活躍してきた「一般財団法人テクニカルコミュニケーター協会」(TC協会)では、毎年開催するシンポジウムと並ぶもう一つの大きな活動として、「日本マニュアルコンテスト」を実施している。このコンテストでもWeb化の取組みを行ったトリセツがいくつか受賞している。たとえば、昨年は3社のマニュアルが受賞した。
スマホに特化したトリセツで受賞したのは、株式会社JVCケンウッドの「JVCコンパクトコンポーネントシステム EX-N5 ネットワーク設定の簡単操作ガイド」だ。条件によって幾通りかの手順があるネットワーク設定のガイドを、スマホ向けに提供している。静的なコンテンツではなく、ウィザード形式で手順をナビゲートする使いやすさが評価された。
産業機械向けのトリセツで受賞したのは、菊水電子工業株式会社。同社のトリセツは、シングルソースマルチユースを実現した典型例だ。産業機械の業界では、お客様からタブレットでも見られるようにしてほしい、紙でもほしいという多様なニーズがある。毎回ニーズに合わせて作っていたのでは効率が悪いため、マルチアウトプットが要求されることが多いのだという。
ソニー株式会社のXperiaのマニュアルは、製品自体がトリセツの表示装置という点が特長のHTMLマニュアルだ。基本的な操作方法は本体に内蔵し、詳細はWebサイトで提供している。
マニュアルコンテンストの実行委員長を務めるTC協会副評議員長 徳田直樹氏は、「コンテストへの電子マニュアルの応募はまだ数が多いわけではないですが、今後、電子化のニーズは確実に高まっていくと考えています。一方でやはり紙のトリセツは欲しいというユーザーが根強いことも事実。電子マニュアルの取組みもしながら、紙での提供も担保する工夫が、今後メーカーに求められていくでしょう」と語る。