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2015年5月号サンプル

味覚の美と芸術の美/北大路魯山人

すべての物は天が造る。天日の下新しきものなしとはその意に外ならぬ。人はただ自然をいかに取り入れるか、天の成せるものを、人の世にいかにして活かすか、ただそれだけだ。しかも、それがなかなか容易な業ではない。多くの人は自然を取り入れたつもりで、これを破壊し、天成の美を活かしたつもりで、これを殺している。たまたま不世出の天才と言われる人が、わずかに自然界を直視し、天成の美を掴み得るに過ぎないのだ。
だから、われわれはまずなによりも自然を見る眼を養わなければならぬ。これなくしては、よい芸術は出来ぬ。これなくしては、よい書画も出来ぬ。絵画|然《しか》り、その他、一切の美、然らざるなしと言える。

仮りに私の食道楽から言っても、ここに一本の大根があったとする。もし、その大根が今畑から抜いて来たという新鮮なものであるならば、これをおろし[#「おろし」に傍点]にして食おうと、煮て食おうと、美味いに違いない。だが、もし、この大根が古いものであったならば、それはいかなる名料理人が心を砕いて料理するとしても、大根の美味を完全に味わわせることは出来ない。天の成せる大根の美味は、新鮮な大根以外にこれを求めることが出来ないからである。
また、ここに一枝の花があったとする。その花が、新しく今咲き出たばかりのものであるならば、それはそこに何気なく投げ出してあっても美しい。だが、もし、これがすでに萎れかかっているような花であるならば、いかなる名手が、いかなる名器に活けようと、花の美は天成的に味わうことは出来ない。人工人為は所詮天成に代え難いからである。