ベビーブームの世代(昭和22年〜24年生まれ)が、意欲と実力をもつ若者に成長したときに、そのボリュームパワーと多様性に対する対応力が会社に求められた。「ヤング」は今までにないニュータイプの若者として、見慣れぬ存在として登場したのである(図-1)。そこで、大人たちの戸惑いという観点からではなく、もう少しヤング自信に即しながら話を進めていこうと思う。 20代になったベビーブーム世代が「ヤング」をりーどした 図-1 人口ピラミッド(アクロスSS選書『新人類がゆく。』14ページより) 1970年、女性誌『アンアン』(平凡出版、現マガジンハウス)が創刊し、翌年の1971年『ノンノ』(集英社)が創刊によって、アンノン族という言葉が生まれた。「アンアンとノンノは創刊当時、旅・衣・食という3つの柱で構成され、自由な学園生活を楽しみたい、自分を自分なりに表現したいと願望する夢多き女子高生・大学生たちにうまくマッチした企画であった」。誌上で紹介されたファッションに身を包み、誌上に紹介された観光地へつめかけた女の子たちを称して、「アンノン族」と呼んだのである。 60年代の若者がファッションとライフスタイルを分けて考えていたのに対し、アンノン族は衣服だけでなくレジャー・遊びを含んだ暮らしのファッション化を求めたのである。「彼女たちにとってはファッションはライフスタイルの最も有効な表現手段となり得たのである」。1972年、情報誌『ぴあ』が創刊された。映画、音楽、スポットなどを載せた情報の羅列雑誌であった。マニュアルに支配される現代の若者の出現は、この頃ではないかと思われる。 1975年、アンアン、ノンノに続く女性ファッション雑誌『JJ』(光文社)が創刊され、翌年には男の子向けのファッション誌『ポパイ』(平凡出版、現マガジンハウス)が創刊されたことでターゲットを女の子に絞っていたメディアが、男の子の中にも入り込んできたのである。 ヤングは、それ以前の若者に比べると、男も女も比喩的な意味で女性化していた。「感性とかファッションという言葉は、1960年代の大人社会から見れば女性的なものであった。ユニセックスが浮上し、それまでひとくくりで否定されていたものが、ヤングの登場でクローズアップされてきた」のである。